第73回 本当の解決の仕方か?
[前回noteよりひきつづき、吉本隆明さんの講演『現在をどう生きるか』(開催日時:1995年9月3日)をゆっくりじっくり聴きます。講演音源は吉本隆明の183講演より。ほんじつは、第73回めのこと。]
こんにちわ。ぜんかいはぁ、、
「この衝撃を回復しながら関西地区は都市としても復興していく、っていう復興の仕方は二通りある、と。それは、旧来通りの復興の仕方で政府の言いなりとか地方自治体の言いなりで官庁主導型でそういうふうにしか復興しなかったら駄目ですよ。
そうじゃなく自分たちの規模で復興して行ったら、これはやっぱり日本国全体の模範になるっていうふうに僕は思います。そういう二つの課題を持ってるんです。
これはかつては無かったんですけど、明らかに『現在』の課題です。」
の箇所を聴きました。つづきをー。。。
これは、あの。関東、あるいは東京…、あの。東京なら東京における、その、あの。オウム…、オウム、そのサリン事件のその解決の仕方っていうのを、
(チャプター09「阪神・淡路大震災復興への課題」/5:50〜)
「これは、東京なら東京におけるオウムサリン事件の解決のしかたっていうのを、」
‥‥オウムサリン事件の解決のしかた。。
これはもう、つまり、もう極悪犯罪人つって。法律的に裁いちゃって。それでもう、あの。もう、それでもう片っぽにはこんな嫌なことは忘れよう。って。忘れる、みたいな解決の仕方はもちろん有り得るし。
「つまり、極悪犯罪人と言って法律的に裁いてしまって。もうこんなイヤなことは忘れよう、みたいな解決のしかたはもちろんありうるし。」
‥‥法律的に裁いて、というのは、ありうるけど。。
今年の7月、オウム関係者の死刑が執行されるにいたったですが。どのようなふうにいたってのことだったのだろう???
いっぱい、その可能性があるわけですけど。それは駄目だ、っていうのが僕の考え方で。
「いっぱい可能性はあるわけですけど、それはダメだというのが僕の考えかたで。」
‥‥それはだめだ。。
これは何なのか、って。世紀末的に、って言ってもそうですけど。この問題、何なのか。要するに、あの、善悪の基準のこの浮遊性の最も象徴的なあれ…、問題だ。って。
「これはなんなのか? と。世紀末的と言ってもそうですけど。要するに、善悪の基準の浮遊性のもっとも象徴的な問題だ。と。」
‥‥世紀末的。。
余談なんですが、この「世紀末」のことで申しあげますと、ぼくはそのときがちょうど高校3年生で。小学生のころからさ、齢を数えてみるとちょうどじぶんが高3のときだから、もしかしたら大学受験とかしなくてもよくなる〜?! みたいなことを考えていたな。
でも、今となれば、あんまり世紀末の気分って思い出せない。
そして、、
これは、どういうふうに理解してったら…。と言って、どういうふうに解決して行くのが、本当の解決の仕方か。ってのは、よくよくやっぱり突き付けられてる、っていうに僕はそういうふうに考えております。
「どういうふうに理解して、どういうふうに解決してゆくのが、ほんとうの解決のしかたか? というのは、よくよく突きつけられているとぼくは考えております。」
‥‥本当の解決の仕方。。
これはやっぱり、あの、現在の課題の一番大きな問題だ。っていうふうに、あの、僕自身はそういうふうに考えております。
「これは、『現在』の課題のいちばんおおきな問題だ。と、僕自身はそう考えております。」
という、こんかいはここまでを聴きましたー。もう、ほんとうに、この講演もさいごのさいごなので。さいごまで、ゆっくりじっくり聴きたい。つづきは次回noteでっ!!!
平成30年9月23日