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何度か観ることによって。(ドリブル篇)

昨日のブログでは、映画館にて三度目の
『THE FIRST SLAM DUNK』を観たことを記しました。

何十度と観ておられる方と比べれば、
三度目というのは少ないほうだとも思うのですが、
ぼくとしては、これまで
二度同じ映画を映画館で観る、というのは
度々あったのですが、
三度は初めてのことでして、そんなような
三度目の『THE FIRST SLAM DUNK』を観ながら、
いろいろなことを思ったと思うんだけどねー。

そのなかでも、たとえば
ぼくがとくに好きな場面というのが、
映画の終盤、原作漫画では宮城リョータが
【こんなでけーのに阻まれてどーする
 ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!】
と想いながら、彼の前方を阻む
山王工業の二人の選手のあいだをかいくぐり、
山王が取ったゾーンプレスの作戦を破るシーン。

この場面を漫画で観たときには、
(これって、絶対に無理そうなのに
 どのようにして抜けて行ったんだろう?)
って感じながら、ぼくとしては長年
けっこう謎だったんですが。
こうして映画となってその動きを観ることができて、
ちょっと謎が解けたような気分になったのよね。

つまりはさ、このとき
宮城リョータはただただ強引に、
前方を阻む二人のあいだを駆け抜けようとした、
わけではなかった。

宮城の先を守る山王の選手二人のディフェンスは、
めちゃくちゃ鉄壁ではあるものの、
選手もただの壁ではなくて人間なのだから、
少しずつ揺れながら、少しずつ動きながら、
その動きの際にこの二人のあいだの距離が
わずかに開いた瞬間をめがけて、
宮城はドリブルで切り込んだ。

つまり、宮城は
二人のあいだを切り開いたのではなく、
わずかに開いたタイミングを見据えた。

この動きの雰囲気はさ、
漫画ではわからなかったし、そして
一度目及び二度目を映画館で観たときにも、
大好きなシーンだとは思っていたですが、
三度目を観て、ようやく
ことばで言えるような気がしたので、
このブログでも書いてみようと思いました。

昨日のブログでもね、たとえば
一秒一秒におけるどの絵、及び、
どの動きにおいても、すべての場面が
貴重で重要でものすごいものだなあ、
とのように記したですが、おそらく
この場面を三度観たことによって、ちょっと
どういうことなのかがわかったかのように、
つまり、何度か観ることによって
わかる、ということも、
もっともっとたくさんあるんだろうなあ〜。

そしてあとさらにね、このシーンのときには
宮城の母親がちょうど会場へと到着して、
宮城が二人を抜き去るのを観ることになった、
というのが、とっても素敵だったのですが。
試合が終わったある日、宮城の母・カオルは
ご自身が広島の会場を訪れていたことを、
息子であるリョータに伝えない、というのは
今回三度目を観たときに気がついたのですが。
これもまた、宮城リョータの家族のドラマとして
なんだかよいなあ! と想いました。

つまりはさ、
「伝えない」ということも、
ひとつの愛であるかのごとく、
なのだと感じられたんだった。

令和5年8月30日

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