疑問文の力。

昨日のnoteでね、漫画『鉄コン筋クリート』に登場する「ソコカラナニガミエル?」という疑問文のことばをじぶんでじぶんに問いかける。ってゆうことを記したんですが。

このことばだけでなくって、ほかのどのことばでも、疑問文というのはことばがつよい。というか。いったん疑問文が登場してしまえば、その疑問文にどうしてもじぶんのあたまが答えようとしちゃう。というか。疑問文の力に、からだが抗えない。というか。。。

たとえば、「休みの日には、なにをしていますか?」という疑問文をぼくが相手へ投げかけたとします。

そうすると、ぼくに対して相手がこの疑問文を答えるのがイヤだった場合には沈黙なさる可能性だってあるけれど。でも、ひとたび「休みの日には、なにをしていますか?」という疑問文がその場に登場してしまえば(休みの日にわたしはなにをしているんだろう?)ってどうしても考えてしまうような気がするの。ぼくならば、問われたら、考えちゃうし。で、ときには答えを「強制的」に引き出させてしまうことにもなる、と申しますか。

つまり、もっと言えば、疑問文には「相手を支配する力がある」んだとおもうのね。なので、「疑問文を言う」というのは、なかなかむつかしい。。。

‥‥と、それでさ昨日のnoteでぼくが記したことに戻りますと、「じぶんでじぶんに問いかける」ときには、疑問文を「言う」ほうも「答える」ほうもじぶんなのだから、そういう遠慮みたいなことはいっさい無用で。だから、どんな疑問文だって投げることができる。

疑問文をじぶん自身へ投げかけるとき、そんなような「疑問文の強制力」というものを、逆に、うまく使うことができれば、考えごとかなんかで閉じてしまったじぶんの窮地を救うことだってできるんじゃないかなぁ?! っておもうんだよねー。

平成29年4月3日


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