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防災の日に改めて思う、日頃の食料備蓄の大切さ

こんばんわ。今日9月1日は防災の日です。
筆者の住む大阪でも、午後1時33分に一斉に携帯電話のアラームが鳴りました。ちょうどオフィスにいたので、あー始まったんやな、って感じでお仕事をしていたのですが、防災の日がくるとかつて住んでいた東南アジアで大雨水害のために、丸2日買い物に行けず、食べるものが尽きないか不安になった被災体験が思い出されてきますので、本稿ではいざという時のために、日頃からの食糧確保がどれだけ大切か、自分に言い聞かせる形で申述していきたいと思います。

(被災体験1)スーパーやコンビニから物が消えてなくなった

東南アジアに住んでいた、あの時の写真をとっておけば…と後悔ですが、本当に売り場からものが消えることってあるのだなぁとかえって感心するくらい、食べ物がなくなりました。缶詰、お菓子に至るまで、何も買う物がありませんでした…
タクシーを使って、ショッピングモールへ行こうとも思いましたが、そこは日本と違う海外、大雨増水のなか、一度外へ出ると車の渋滞で帰って来れなくなる恐れがありました。

(被災体験2)日頃から買い込んでいた、水、お菓子、お米、ジュース、カップラーメンで食い繋いだ

万が一の事態に備えて、上記の食糧を自室に蓄えていたのですが、これが非常事態に役に立ってくれました。この準備があったおかげで、自分は買い出しに外出する危険を犯さずに済んだわけです。
幸い電気が通じていたので、炊飯器で飯を炊き、茶碗によそって食べましたが、この時のお米の味は今でも忘れられないですね。
東南アジアでよく販売されている、韓国製の廉価なカップラーメンも食べました。

(被災体験3)大雨でなぜか火事が起きる!?

いまだに理由がわからないですが、降り止まない雨の中、遠目にもくもくと煙が上がっているのが見え、消防車のサイレンがけたたましく聞こえてきました。住居店舗が密集しているので、電気設備やライフラインも安全性が担保されていないため、大雨で火事になったと推察されますが、焼け出されても行くところがなくて路頭に迷う人たちも出ていたことと思います。
残念ながら、外国人である自分には、助ける手立てもありませんでした。

人それぞれの防災意識、被災体験…どう活かす?

大災害の後はいわずもがな、混乱するので、自分はあまり人のいないところに行くのが正解と思います。強盗に遭う危険、食料争奪、悪衛生など、阪神大震災や東日本大震災では表立って報道されなかった不都合な事実があるからです。
ヘルメットを被り、なるべく人が密集しないところへ行く。
職場から自宅へ歩いて帰る場合のルートをいくつか考えておく、水や食糧を会社でも保管しておく。
大阪駅周辺にいるときに、津波が来たらどこへ逃げるか、考えておく。
考えるだけなら、それこそスタバでコーヒー飲みながらでもいいですよね。

さらに備蓄を充実させることも重要と思い、今週末にでも水や飲料を確保しに行こうと思います。自分が東南アジアで大雨台風に遭っても平気だったのは備えがあったから。この備えを二重三重にすることで、大災害への備えにします。

関東大震災から今日で100年。耐震性の技術革新が当時と比較すると飛躍したとはいえ、インフラの破壊、火災の危険はむしろ100年前よりも高まっているのではないでしょうか。
筆者も学生時代は東京に住んでいたことがありますが、東京を離れるのも一つの決断かと思います。
自分が阪神大震災をテレビ映像で見て、同じことが東京で起こったら大変なことになると危惧したこと…今新たな気持ちで当時のテレビ映像を見直しています。

(おわり)



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