ロンジュンの寂しさ

 ここに来るのは本当に久しぶりですね。TwitterやInstagramを遮断してからもうひと月以上が経ちましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。私はそれなりに元気です。最近YouTubeに新しい動画をアップしましたが、自己満動画すぎるのか再生数に伸び悩んでいるようです。もしよかったらぜひ。
 今日このテーマで書くことにしたのは、前に書いた「ドンロンの『良さ』」に関するnoteにて言及した、ロンジュンがヘチャンに対して感じていた寂しさについて、その後しっかりと書き綴っていなかったことを思い出したからです。昨日たまたま見ていた7llin' with DREAMで、2人の会話からまた少し考えさせられたこともあったので、今日はそのことも交えながら話していこうと思います。

寂しいってなんだろう

 人は少なからず、生きていればこの感情に襲われる日が来ると思いますが、そもそも寂しさ、寂しいと思う気持ちって、なんなんでしょうか。

さびしい【寂しい・淋しい】
①あるはずのもの、あってほしいものが欠けていて、満たされない気持ちだ。物足りない。さみしい。「彼の顔が見えないのはー・い」「タバコをやめると口が一・い」「ふところが一・い」
② 人恋しく物悲しい。孤独で心細い。さみしい。「独り暮らしはー・い」「知らない土地で一・い生活を送
る」
③人けがなくひっそりしている。心細いほど静かだ。さ
みしい。「一・い夜道」「山奥の一・い村」

ニューエース国語辞典より引用

 ①と②に共通しているのは、その感情が湧き出るきっかけがあったということ、そしてそのきっかけとなる存在が現在の自分にとって不足している・もはや存在してないと認識し、「寂しさ」を感じているということです。
 急に国語の勉強みたいになってしまってすみません。私は最近(smoothie活動期)のロンジュンの表情を見ながら、どこかに寂しさが見え隠れしているような気がしてなりませんでした。もちろん私の思い込みである可能性は大きいです。
 ですが、こうして人が寂しいと感じるプロセスを考えてみると、ロンジュンがヘチャンに対して寂しさを覚えることも自然だと感じます。


憧れと寂しさ

 「ドンロンの『良さ』」を語ったnoteでおそらく言わんとしていたロンジュンの寂しさは、ヘチャンという存在への憧れからくるものだと書きたかった気がします(うろ覚えですが)。私も前に、何でもこなせる友人にそこはかとない寂しさを常に感じていたことを覚えています。この人はたぶん自分がいなくても上手く生きていくんだろうな、とどこか諦めたような気持ちで一緒に過ごしていたんですよね。たぶんこういう思考は相手にも寂しさを与えることになると思うので、今はもうそんなことを考えなくなりました。こういうものに似た感情を、ロンジュンも感じていたんじゃないかなと思ったわけです。

変わったのは?

 どこかで書いた考察で、倦怠期に先に変わったのはヘチャンだと言いましたが、それは今も同じ考えです。今までに出た7llin'シリーズはどれも何度も何度も繰り返し見ましたが、2人の関係性が変化したのは映像を通して見ても一目瞭然です。ただ、だんだんと大人の人間へ成長していく過程で人と人との関係が変化するのは全く不自然なことではなくて、むしろ変化することが必要・必然だと思っています。

7llin' with DREAM

 一番最近出た7llin'を見るのが他のシリーズよりも少しだけしんどいのは、動画がアップされた当初からでした。動画内でヘチャンがロンジュンの質問に答えなかったり、話す時に目を合わせていなかったりする場面が多くあり、何かあったんだろうかと動画を初めて見た時から一抹の不安のようなものが胸に引っかかっていました。その真偽を確かめることもできない私にとってその不安は杞憂にもならないものでしたが、その後ロンジュンの休養が公示されて、またその不安が立ち現れたのは言うまでもないことです。
 寂しいという感情を持つことは自然なことだと思いますが、その寂しさがいつまでも自分のベッドの脇に座っていたら、私は耐えられないと思います。その寂しさを埋めてくれる代わりが現れないかぎりは、ただ時間が解決してくれるのを待つだけなんて、それこそあまりに寂しいからです。
 ヘチャンという存在がロンジュンにとってどれくらいの大きさを占めていたかは知る由もないですが、今までヘチャンが彼に与えてきたものはすごく大きかったのではないかと思います。放っておいても人は変わってしまうし、それをきっと本人ですらどうすることもできないと思うけれど、やっぱり寂しいと感じてしまうのが人間なんじゃないでしょうか。

 最初にあのnoteを書いたときに感じていたロンジュンの寂しさの話と、それとはおそらく違うものが混在してしまいました。久しぶりに書くからか上手くまとまらないですね。
 自分が一番辛いときに寄り添ってくれる誰かがいることが、生きる上でとても大事なのだと思います。私はその誰かになれているでしょうか。なれていたでしょうか。

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