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闇の音、闇の色彩 ―イーノアンビエント京都異聞(9)

4 京都:芸術の実験、実験の芸術



 早朝に出発し、京都七条東本願寺近くのイーノ展会場に着いたのは午後二時であった。京都に来るのは久しぶりで、最後に来てから十年以上は経っていると思われた。

 時に物事や事象に対し、客観的な判断や評価、というものが求められることがある。しかし、自分の友人や故郷などを「客観的」に判断するようなことを人は容易くできるだろうか。屈折したような複雑な感情の思い入れがあればある程、そのような客観的評価は難しくなる。

 或る自然科学者が著書の中で、次のような意味のことを書いていた。

 道端に花が咲いている。自然科学者がそれを科学的に観察する場合、彼は花を「悲しそうだ」「可愛らしい」などと主観的評価は当然行ってはならない。彼以外の誰かが、いつ、どこで見ても同一であるような事象を観察しなければならない。花弁の数、葉や花の形、生息場所等。

 だが、芸術をそのようなやり方で、科学的に観察できるものだろうか。歴史や流派や技法など確かにある程度は可能だろう。しかし、ある地点からは、科学的視点以上のものが必要ではなかろうか。

 芸術作品を通し、作者本来の魂が見える、というような意味のことをルドルフ・シュタイナーの著書で読んだことがあった。上原はその発言に感銘を受けたことを確かに覚えている。

 『学研の科学』『学研の学習』という、学研おばさんが月毎に配達してくれた学習教材付き雑誌がかつてあったが、なぜそこに『学研の芸術』はなかったのだろう。

 学校で、理科の実験は理科室で行えたが、芸術の実験、は美術室で行えただろうか。

 科学実験がロスアロモス研究所で行われていたように、芸術実験も日々密かに、核兵器開発に匹敵するくらいの実験が、世間に目立たぬような形で行われているに違いない。

 ブライアン・イーノはかつてフジロックフェスティバルでライブ演奏をした際に、次のように日本語で聴衆に語り掛けたという。「私たちの実験に参加してくれて、ありがとうございます」

 京都の建造物を一棟丸ごと使用して、三階建て全階にイーノ美術を配し、建築全体にイーノ音響を浸透させる、というのはイーノに憧れ続けた上原にとっては夢幻空間に近いものと考えられたし、そこは確かに期日の限られた芸術実験空間には違いなかった。

 芸術の実験、実験の芸術。

 実験芸術という言葉があるが、実験を芸術化する、というような意味に捉えることもできた。

 実験芸術、や、実験音楽、という既存の言葉は或る種、安定した一ジャンルのような、地図で言えば、或る一地域を指して言う分かりやすい言葉のようなところもある。

 理科の実験、のように、芸術の実験、とした方が、芸術を実験する、という意味が、よりはっきりする。

 イーノの展覧会は、芸術を実験する、というもので、芸術実験であり、「実験芸術」という安寧した分野の様式とは異なるものであってほしい、と上原は何となく思っていた。



 家族全員分の入場券を事前に購入し、車で七時間以上の道中を経て、ようやく、イーノ展の会場入口に到着した。

 検温と消毒。新しい生活様式。これは全体主義の悪夢に違いない。

 台上に置かれた小型箱に手を差し伸べれば、消毒され検温もされるという一挙両得の全自動方式だ。消毒液だけが出てくるのだと思って手を差し出せば、検温もされてしまう。握手をしようと手を伸ばしたら、採血されて血液検査も勝手にされてしまう。罠に似た感じだ。検温もするのであれば、そのように機器に記載すべきだし、指示員も説明すべきではなかろうか。検温を誰もが拒否せず、ここで大人しく羊のように立ち止まるのだろうか。心の準備が必要だ。もしここで、高熱有り、などと自動判定されたらどうなるのだろう。

 陽炎の京都市内は茹だるような夏の暑さだった。市街では外気温で卒倒しかねないので、上原は口鼻を塞ぐ面を使用せずに歩いていたが、展覧会場では全体主義の意向に抗えず、苦し紛れの苦笑いで、手と指の消毒までも指示員たちの意に従った。

 上原はこのような、納得しかねるような、国家や経済の横暴に従わざるを得ないときには、決まって岡本太郎の言葉を思い出すのが常だった。

 太郎氏は駅で改札を通る際の屈辱に似た感覚について書いていた。

 改札でなぜ通行証を見せねばならないのか。そのようなときにも徹底的に考えるのです。その体制に従わざるを得ないのだとしても、考えて、考え抜いて、心の中では、なにくそ、と反抗心を持ち続けることが大事なのです、と。上原の記憶内にある大意では、太郎氏はそんなような意味のことを書いていた。

 あるとき上原は「意味のないマスク」という商品をネットで見かけた。自己を偽り世を忍ぶ、自己保身に違いない己の奴隷精神と臆病さを汲々と恥じ入りながら、彼はそれを惨めな気持ちで購入していた。曰く、口と鼻を覆う面と顔の間に大きい隙間があります。息がしやすいです。マスク本来の意味は全くありません。

 上原は日常生活上、どうしても全体主義国家の意向に逆らえないときは、その無意味とされる商品を仕方なく、岡本太郎の反骨心をお守りのように肝に銘じながら、嫌々ながらも顔に付けるのだった。己の魂が汚されると感じてしまう程に、布一枚を単に顔に付けるという、その行為を上原は嫌悪していた。全体主義への同調に虫酸が走り、全身がどうしようもない反感で充ちてしまうのだった。

 無意味の面を付け、手と指を殺菌液で消毒し、本人に無許可で行われた検温も「可」と認められ、これで上原も全体主義国家の、新しい生活様式の、立派な人畜無害住人であった。




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