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【HBPメンバーインタビュー】第5回 有賀敬直(2020/12/25公開)

メンバーによるメンバーへのインタビュー企画が、約5年ぶりに帰ってきました!
2015年に掲載した一連のブログ記事ですが、今でもアクセスがあり、より深くメンバーの人となりを知ってもらうきっかけになっています。
第1回山本尚生(卒業メンバー)の記事の序文にはこう書いています。
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まちに関わる仕事をしている中で、
大切なことの一つは、まちを生きる人たちの言葉にじっくりと耳を傾けることかもしれません。
それぞれの方々が自分の言葉で語る、地域への思い、人生、仕事、家族。
そこに優劣はなく、まちを作ってきたのはそのまちを生きてきた人たちなのだなぁと強く感じます。

そしてまた対話を繰り返していく中で、私たちも関わる方々から様々な質問を投げかけられます。
「どこで生まれたの?」
「これまでどんな人生を送ってきたの?」
「なぜまちづくりの仕事をはじめたの?」

改めて質問されると、自分のことを語る難しさに考え込んでしまったり、
また、同じ事務所で働くメンバーのことなのに、良く知らない一面があることに気付かされたりします。

そこで、ハートビートプランで働くメンバーの紹介も兼ねて、
お互いにじっくりとインタビューをしてみました。
これから数回に分けて、インタビュー記事をUPしていきます。
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当時からメンバーも増え、顔ぶれも変わりましたが、基本的な姿勢は変わりません。
ここで引き続き、メンバーへのインタビュー記事を掲載していきたいと思います。

5年ぶりの第5回は、入社4年を過ぎ、この8月から長門へ家族で移住し、ビール醸造と飲食事業に取り組む、有賀敬直です!


読書も外遊びもゲームも、何でも満喫する子ども時代


有賀敬直です。1984年8月生まれ、今年36歳になります。神奈川県川崎市出身です。川崎の北部の田園地帯で生まれ育って、大学卒業までずっと住んでました。

どんな子ども時代だったかって、全然覚えてないんだよなぁ。記憶力悪いのかな…(笑)
中学時代はめっちゃ本を読んでました。人と喋るのも好きだし、友達と外で遊ぶのも好きだったんですけど、家にあった本とかお爺ちゃんの本とか読んでました。夏休みには図書館の本棚のここからここの本を読もうと決めて読んだりして。子供の頃は、近所の川で友達と沢蟹取りとかもしたし、あとはドラクエもしたし、それから夏目漱石も読んでました。色々ですね。

小学校の時、親はずっと先生から僕のことを「変わったお子さんですね」と言われていたらしいです。自分では優等生なつもりだったんですけど(笑)

だから今でもなんか「変わってる」っていうことにすごい抵抗があります。変わってるとか個性的ということが僕にとっては全然ポジティブなことじゃない。価値基準が自分にないじゃないですかそれって。だから「人と違うことをしたい」という人のことを全然信用してなくて(笑)。本質的には人は差異でしか物事を判断出来ないものだとは思うんですけど、でも自分のやりたいことまで他人と比較する必要なんてないと思います。

高校では美術部に入りました。姉ちゃんが美術系で美大にいったので、そっちに憧れがあって。自分はそこまで出来ないなとも感じてたけれど、ずっと興味はあった。だから部活では油絵とか描いてました。進学校でそこまで部活が盛んだったわけでもなくて、帰宅部の人もいっぱいいた。だから割とゆるい美術部には色んな人たちがいました(笑)

大学では建築学科に進みました。進んだ理由は二つあって、ひとつはさっきも言ったみたいに、姉ちゃんの影響で、芸術には興味があるけど姉のように突き詰めてはいけないなと思ってたこと。あとは原広司という建築家の『集落の教え』という本を読んで、人の生きる環境の面白さみたいなのを感じて…ってそんな大層な話じゃないんですけど(笑)。ぼんやり、あ、こんなのあるんだ~みたいな感じで。大体いっつもフワフワしてるんですよ僕。


今でも礎になる“カルチャー的なもの”への興味


あと、中学の後半から雑誌の『スタジオボイス』をずっと読んでいて、“カルチャー的なもの”への興味はずっとありました。それはほんと今でも礎だなと思います。中2病といえば中2病みたいなもんだったんですけど。洋楽しかきかない、ロックしかきかない、邦画は見ない、村上春樹よりもメルロ・ポンティを読まねばならぬ…!みたいな訳の分からないやつです(笑)そういう意味ではひねくれてるんですよ。だから例えば今でもプロモーションの話とかになると、メディアにどんどん出していこう、というのに対して、いやいやメディアに出たら負けじゃないか!みたいな葛藤がずっとあります(笑)

時代が当時とは全然違うというのもあるんですけど。当時は雑誌に出ている店なんか絶対行かないだろ、って感じだったけど、今は雑誌に出てない店探す方が難しい。大衆受けしないということが大衆受けにつながる。本当に大衆受けしないもの、みたいなのはどんどんなくなってきてるんだろうなと。しょんべん臭い横丁で飲んでいる、みたいなことがステータスでインスタ映えするみたいになってるから。

最近読んだ若林恵さんの記事で(★1)、東京は最後に開発された地方都市だったっていうことが書いてあって本当にそうだなと。新しいうねりがうまれる土壌がなくなっているというか。全部が一瞬で祀り上げられるというか、好きで好きでたまらないから続けているうちに認められるんじゃなくて、すぐにいいねいいね!といって人が集まってきて雰囲気だけで祀り挙げられるみたいな所がありますよね。東京に限らずですが。

だから僕は今、家族で移り住んで長門でビール事業に取り組もうとしているんですけど、ビールの話もローカルに愛される物じゃないとやっていけないと思んです。大都市の消費の流れにのってしまうとそういうものになっちゃうから。それはいいことなのかもしれないけれど、やっぱりそこに乗りたくないというところがあります。


人がまちをどう認知するか?大学時代の渋谷の研究


大学では都市計画のゼミで、渋谷の街を研究してたんですよ。元々は人がまちの領域をどう認知しているかというのに興味があって。例えば大阪でいうと、本町から難波まで友だちと電話しながら歩いているとして、最初は今本町にいる、って言っているのが、どっかから心斎橋にいる、難波にいる、となるじゃないですか。そういう風に人間が知覚しているまちの領域が何で決まっているかというのが気になって。

卒業論文は学校の近くでそれをしてたんですけど、次の年、M1の時には渋谷でやったんです。
当時はまずは、渋谷から原宿までの何千棟の建物の、全ての建物のフロアに入って、どういう用途で使われているかというのを調べました。それを密度関数という関数にいれ込んで、商業の用途がどう広がっていくのかと、それによって、人の知覚がどのように変化していくのか、っていう研究をしてました。もしかしたらむしろ心理学とか社会学とかの方に興味が近かったのかもしれないです。

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研究していた渋谷の路地

研究では最終結論までいきつかなかったんですけど、結局まちの領域の認知というのは、通りの風景にあると僕は思っています。見ている風景の変化と、重要な地形とか地物、それから商業とか何かの集積みたいなものが人のイメージに影響を与えてるんだと思います。

あとは大学の時には、大学祭実行委員長をやったり、新潟の大地の芸術祭の事務局をやったり、忙しくしてました。色々やりたくなっちゃうんです。

それから、千代田区の神田エリアのまちづくり団体の活動はずっとやってたんですよ。フリーペーパー作ったり、地域通貨を作ったり、子供向けのワークショップをやったり、空き家の活用をやったり、よくある感じのことはその時に一通りやってたんです。その時に思ったのは、この世界にはデザインの力がいるんじゃないかっていうことなんです。いつかまちづくりの仕事をする時に、デザインが分かるということが強みになるんじゃないかと思って、仕事を選びました。

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学生時代に関わっていた街のイベント。この頃から道路空間を活用したイベントなどを企画していた。


仕事はいつも楽しい!2社を経てハートビートプランへ


大学院まで卒業して、空間デザインやディスプレイデザインの会社に就職しました。会社としては営業から施工まで全部やる会社でしたけど、僕はデザインを担当してました。仕事はすごく楽しかったけど、自分は一つのことを追及しつづけるタイプじゃないなというのも思いました。例えばデザインだけを120%、150%で仕上げていくことよりも、デザイン+運営をどうするか、企画をどうするかというのが気になっちゃう。そういう意味では今のハートビートプランの仕事が向いているのかなと思います。全体像を把握しながら進めるのは好きなので。

2社目の会社は建築とか開発の企画の仕事で、1社目とは全然違う仕事でした。大きい仕事になれば設計の人も不動産の人も事業計画関係のひともいるし、それをまとめるような仕事でした。

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前職でのワークショップの様子。

ここでの仕事も楽しかったんですけど、ちょうど奥さんが2人目を妊娠したこともあって。奥さんの実家がある大阪に帰りたい、という話が出ていて。ハートビートプランには研究会で一緒だった園田君もいるし、巡り合わせかなぁと思って。家族で大阪に来たんです。

今年でハートビートプランに入って丸4年経ちました。あっという間でした。仕事の進め方については元々プロジェクトマネジメント的なことをしてたから割とすんなり馴染めましたけど、都市計画的なことについては知らないことが多くて最初はハードルを感じました。仕事は大きなのプロジェクトをやらせてもらってるな、と思います。なんばは都市計画の制度も使い、地元調整もしてと、要素がふんだんに盛り込まれているし、まだまだ力不足だけど、すごい学びになるしやりがいもある。長門は観光とか全然違う視点があって面白い。充実感がすごいあります。

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基本的に形が見えてない時期が長い仕事だと思うんですけど、四苦八苦していて、ある瞬間に振り返ったら進んでいる、そういう瞬間はすごい達成感があるんですよ。あとは一番嬉しいのは信用してもらっていると思う時です。入って最初のステップは泉さんて言われない、まず僕に連絡がくるという所なんですけど、そのうち相談がくるようになったり、自分がメインになって動いていけるようになると嬉しいですね。

でも結局は、この仕事のどこが面白いとかっていうより、こういうことに関わっていられることが、自分は好きなんだなって思います。

一方で、今までしてきた仕事を振り返ってみて思うんですけど、割と何でも好きになれるかもしれないとも思います。僕はやっぱり自己実現というか、達成感だったり、何かを生み出すという実感があれば楽しめるんだと思います。褒められたいだけなのかな?(笑)

この仕事は考える幅が大きいから良いのかもしれない。ひとつの造形を考え続けるよりも、経済のこともデザインも、まちの小さな価値のことも考えて、大きな土木工事のことも考えるみたいな、ことが好きなのかもしれない。大変だけど、楽しいと断言できます。新卒の頃から仕事はいつも楽しいです。


まちを10度、30度、100度に温める


長門でビール事業に取り組むのは、単純に面白そうだと思ったのと、自分がコンテンツというか、何らかの形を生み出せるというのは大事だなと思ったからです。まちへの関わり方もまたコンサルとしてやるのとは別の見方が出来るというか。ビール事業だったのは、泉さんとか奥さんがビールが好きで、僕は初めはそこまで興味はなかったけど、考えて聞いているうちに気づいたらビール大好きになっちゃった。そういう意味ではフワフワしてて、確固たる信念!みたいなもののためには生きてないな~相変わらず(笑)。

最近、前の上司と話してて、奥多摩で若者たちが6−7年前からビールを作っているという話を聞いたんです。始めた当時は絶対売れないと言われてて。でも今は超繁盛してる。そのことについて言われたのは、もうマーケティングとかじゃない、と。そのビールを飲みたいと思える導線にそっと置けるかだ、って。その通りだなと思います。奥多摩はたまたま登山道の側だから、山から降りてきたときにビールが飲めるんですよね。それは本当に導線上にビールがそっとあるだけっていう。そういうことだなと思います。ちゃんと見て、人の生活に寄り添って想像しているかどうかなんだなと。まあ、それもマーケティングといえばそうなんですが。

ビールって割と初めの1杯目だと思われがちですけど、時間をかけて味わって飲むものもあるし、いろんなものとペアリングも出来るし、ビールを飲む瞬間が初めの一杯だけじゃないという奥深さが僕の惹かれているところで。そういう部分をちゃんと文化として創って行こうとしている人たちが沢山いる。あと、結局東京とか大阪で売ってなんぼ、という世界じゃなくて、そういう価値をローカルに落とし込んで作っていく、っていうことがやりたいです。

それから今、今ちゃんと福ちゃん(★2)と一緒に、「ルツボ」というユニットをやっていています。それぞれの視点から場のコンテンツを生み出していけたら面白いんじゃないかと思って。今は豊中の庄内で小学校の跡地をどう活用するか、というようなことをやっています。
「ルツボ」っていろんなものを混ぜて融解させる道具じゃないですか。いろんな人や得意技が集まってグツグツする。みたいなイメージです。ちょっと場を温めるというか、温度をあげるみたいなことがしたかった。本当のるつぼは超高熱ですが(笑)

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ユニット「ルツボ」

ハートビートはやっぱりまちを広く面で温めていくような仕事だと思います。でも面で温めるときに着火点になる一箇所が100度になっていることも大事ですよね。ハートビートプランの仕事は全体を10度あげる仕事だとしたら、ビール事業は1箇所を100度に、ルツボでやりたかったのは30度の地点を何箇所か作っていくようなイメージだと思ってます。


使命と夢の両方を携えて


これからも楽しく生きていたいと思います。自分がこういう風に生活していきたい、こういうものが良いと思っている、そしてそのまちにとってもそういうものが良くて、自分のやっていることもそういうことを追求している、それが全部統合されていたら良いと思います。ビールができて、すごく美味しいかもしれないけれど地元とは距離がある、とかは嫌だし。

ミナペルホネンの皆川さんが「使命と夢が両方携えられること」がプロフェッショナルだ、って言ってて、その通りだなぁって。僕も自分がやりたいこと、やらなければならないこと、社会がこうなって欲しいということ、仕事としてやっていることが全部セットになっていたら意味のあることだなぁと思います。だいたいどれか抜けていることが多いんですよね。自分はやりたくて良いことだと思っているけどお金になってないとか、お金にはなっているけど自分はあんまり良いと思ってない、あんまり社会のためになっていないとか。それを統合させていきたいです。
それは本当に細かいところからしか生まれないと思っていて。1人のお店とか、1人の飛び抜けた人とかが着火点になることが多いと思います。ビール事業もそういう事業になりたいなーと思います。

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家族で長門に移住し、ビール事業にチャレンジ

関東から、大阪、山口って、どんどん西へ行ってますね。あとは海外赴任したら終わりかもしれない。一生東京にいると思っていたから、結果的にこうなっているのが不思議ですよね。コロナでどうなっていうか、っていうのも心配ではありますけど。もう行くしかない(笑)。人生ってほんとどうなるか分からなくて、面白いです。

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★1 若林恵に聞く、テクノロジーとカルチャーで未来の都市を耕すには
https://cufture.cinra.net/article/202007-wakabayashikei_myhrt
★2 今村 謙人さん カモメ・ラボ https://www.facebook.com/KAMOMELABO
福永 裕美さん はちふく


★HBPメンバーインタビュー

【HBPメンバーインタビュー】第1回 山本尚生
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