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代表やろうと思った理由

 こんにちは。広島支部代表のひびきです。

広島支部では「代表に聞きたいこと、活動していく中で代表に聞きたいこと」をメンバーに募り、それをnoteにしたためることにしました。

今回のお題は「なぜ代表をやろうと思ったのか」です。

これはめちゃくちゃ広島支部のスタッフに向けたnoteだけど他都市スタッフも気軽にみてもらえればいいかな。
それでは元気よく書いていこう!

1、きっかけとも言い難いきっかけ

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(去年の秋頃の第一回目のDREAM1次審査、懐かしい) 

代表やろうと思ったのは去年の活動がきっかけでした。広報統括(渉外とSNSどっちも見る役割)として活動していた去年の秋ごろから「次期代表やな!」とおふざけで言われてたりなどしていました。(F本、O田島等)もちろん真に受けることはなく、適当に聞き流してはいたんですけど

「自分が代表になったらどんな組織になるんだろう」

とぼんやりと考えたことはありました。考えただけでなりたい気持ちはまだこの時は皆無、そもそも次の年もやろうなんて微塵も考えていませんでした。本当に強いて言えばこれが最初のきっかけだったと思います。


2、TABIPPO辞めることを決意したBPF2020

 前代表、寺島雄一郎とは2年前、去年と一緒に活動してきました。2年目スタッフをやろうと思った理由は雄一郎がきっかけだったんですけどそれはまた別のnoteで。

2年間のBPFを通して僕がみたものは、雄一郎の涙でした。

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2年前

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今年1月開催されたBPFの代表挨拶

2年間をTABIPPOに捧げた自分
2年間、雄一郎の舞台挨拶を舞台袖でみていた自分

「満席にできなかった後悔、満席を広島スタッフに見せてあげられなかった後悔」で涙を流す前代表を見ることしかできなかったのがこれまで感じたことない悲しさと申し訳なさがこみ上げてきてめちゃくちゃ自分も泣いてしまいました。

この時に「自分はTABIPPOを卒業しよう。」と決意しました。「この流れでなんで!?」て思うかもしれないけどTABIPPOは基本的に1年限りの活動で2年目スタッフをやる人は珍しく、3年目をするスタッフはこれまで一人しか知りませんでした。「2年間結果を残せなかった自分はTABIPPOを卒業してもっと上手くやっていける人に任せよう。自分が居ても古い体制の悪いところが残るだけ」と思い、最後の舞台での円陣もさらっと済ませ、宴会もそれなりにワイワイ済ませ、エアビで一泊して家に帰りました。

で、ここから代表の悪い癖が出るんですけど家に帰ったらボロボロ泣き始めてしまって。

もっと頑張れたこと。
もっといろんなメンバーを気にかけてあげられたのにしてこなかったこと
もっと色々抱え込まなくてもよかったこと
もっと悔しさや悲しさなど感情を表に出してよかったこと

「本当にこのまま終わっていいのか?」という思いを抱え、前日までは活動は終わるって決めていたのにそこから1ヶ月くらいは悩んでました。

3、悩んだ末に

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 BPF広島が1/4で終わり、2月になろうとしていた頃、未だに結論は出ず、大学生活で初めてTABIPPOを考えなくて良い時間を過ごしていました。BPF直後に感じた後悔ともう身を引いた方がいいんじゃないかと悩んだ末

「TABIPPO以外のやりたいこと決めてから、しっかりTABIPPOと決別しよう」

と思い、他にやりたいことを探したんですけど、これまた困ったことに他に何も思いつかない。まじで何も思いつきませんでした。自分にはTABIPPOしかないのかとちょっと呆れつつも、そう思ったらすぐ、現仙台代表のうっちーに「一緒に代表をやらないか」と電話しました。まだ会ったことも喋ったこともないうっちーだったけど代表をやりそうだということはなんとなく自分の耳にも入っていました。こうして自分を後に引けない状況にしたことで100%代表をやる決意ができたと思います。

4、最後に

 このnoteを書いててこれ代表やろうと思った理由じゃなくね?って思ったけどこれだけははっきりしてます。

僕にとってTABIPPOやめようと思ったものもBPFで代表やろうと思ったのもBPFです。BPFに人生いい意味で狂わされていますし、人生に強烈な影響を与える力をあのイベントは持っています。それは今年の全く違う形態でもそれは同じだと思うし、多くの人の人生を変えるイベントに今年も関われていることはすごく嬉しく思っています。今年の広島支部メンバーと一緒に過去最高のBPF、過去最高の1年間を過ごしたいと思っています。改めてよろしく!

長くなったけどここまで読んでくれてありがとう!

TABIPPO広島代表 大高響


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