見出し画像

【チャンピオンズC予想】男は深夜の川面に闇をみる

日付が変わり、時計の針が2周ほどすれば、川沿いの幹線道路も束の間の静寂のときを迎える。黒いダウンジャケットをまとい、闇に紛れるようにして男は川沿いを歩く。春は水面に映る桜が明るく染め上げるが、この季節は漆黒のなかに、くすんだ落ち葉が漂うだけ。色を失う季節は足早にやってくる。男は背を丸め、漂う落ち葉を眺めていた。あの葉は決して海にはたどり着けない。川はいつか海へ向かうが、そこを漂うものはどこかで消えてゆく。男は無意識に自分と重ねていた。

大学を卒業するまでは、同級生たちと同じ流れにいた。試験を受け、単位をとり、昇級する。全員同じ目的を歩むうちはよかった。だが、卒業した瞬間に男は道を踏み外した。黒いスーツに革靴といった風体で企業に頭を下げて回ることに嫌気を差してしまった。稼ぐという行為は資本主義社会を生きる一員として欠かせないことだと分かっていながら、どうにも徹しきれなかった。稼ぐ方法はほかにもある。若さは柔軟な発想を生み出すが、それが危険な賭けだということを知らない。同級生が社会という激流に飛び込み、揉まれながらも必死に生きる姿を横目に、男は暗闇にその身を落とした。流れているのか淀んでいるのか、今も男は自分がいる場所のことを分かっていない。ただ広がるのは闇。眼下に広がる川のようなものだ。流れていないように見えて、流れはある。流れない川は存在しない。だが、どちらに流れているのかすら、はっきりしない。淀みながら流れる川。それが男の人生だった。同級生ほど稼ぎも出世もしないが、

「浜中」

闇に浮かぶ落ち葉を眺め、男はそうつぶやいた。なんとなく気になる騎手の名を夜中に口にするのが週末の習慣のようなものだ。浜中俊は今年のリーティング27位、先週まで39勝をあげた。かつてリーティングを獲得し、身体能力ではナンバー1と言われたほどの天才は長いトンネルから抜け出せない。男の浜中評はそんな感じだった。ダービーを勝ち、浮上するかと思いきや、ケガもあり、そのきっかけを失う。浜中ほどの男であっても、狂いだした歯車を止められない。騎手の世界は自分がいる世界よりも遥かに厳しいと男は思う。華やかな世界ほど、その裏にある闇は深い。どの世界も同じだ。ときどき闇が深まり、煌びやかな表舞台を覆おうとする。侵されそうになった世界は闇を断ち切って、色を取り戻そうと懸命に抵抗する。だが、色は闇を消滅させることはできない。世界は表裏を一体としてひとつなのだ。

浜中が乗るメイショウハリオはGⅠ級を3勝もした。帝王賞連覇にかしわ記念。タイトルはいずれも地方交流だからか、チャンピオンズCでは伏兵評価を脱していない。JRAの実績といっても、レモンポップは距離に不安を抱え、大外枠という苦しい状況に置かれている。2年前の勝ち馬テーオーケインズとは、メイショウハリオは勝ったり負けたりと互角。残るは牝馬と芝の実績馬たち。実力は拮抗かもしれないが、メイショウハリオが劣っている要素はない。JRAの競馬場での実績とて、今年のフェブラリーSは3着。それも落馬寸前の不利があってのものだ。最後に猛然と追い込む内容は、東京マイルの適性の差であり、中京の1800mなら、あれほど置かれることはない。大井2.01.9など元来、ダートのスピード競馬は得意とするところ。JBCは砂を入れ替えた馬場と時計を要する展開で負けたが、今回はJRAの競馬場であり、帝王賞寄りの競馬になる公算が高い。地方交流で強いと、脚が遅いと決めつけられるが、メイショウハリオにこれを当てはめるのは安易というものだ。

ベストはスピードも必要な中距離。乾いた馬場になるだろう東京大賞典より今回こそ勝負だ。ずっとコンビを組んできた浜中も自信があるはずだ。JRAリーディングだけを見れば、確かに今年は目立っていないが、メイショウハリオと地方でGⅠ2勝をあげ、むしろ充実期にさえある。闇もトンネルも彼には存在しない。メイショウハリオにまたがれば、光しかみえていない。

この秋、GⅠはノーザンファームの猛攻に抗えないまま進む。巨大牧場の組織力と生産力、管理能力の凄さを思えば、当然でもあるが、このままダートまで浸食されては面白くない。男はついメジャーなものに抵抗する。これが自分の生きる道だと諦めている。抵抗せずに素直になれば、馬券が当たることも承知だ。競馬歴が長い男にそんな道理が理解できないわけではない。だが、男はそれでも抵抗を続ける。意地ではない。癖なのだ。

男は冬が嫌いではない。それはダート競馬の旬だからでもある。緑の芝と向こう側にある白いダート。スタンドから遠い馬場ほど、男は愛したくなる。目の前に広がる華やかな場所だけが世界を構成しているわけではない。中心でなくても、ダートも障害も競馬のなかにある。そして、どちらも芝に劣らない激しさと厳しさを持ち合わせている。砂煙を浴び、視界がぼやける世界のなかで、痛みに耐えて前を目指す。男はそんなダート競馬に自分を重ね、真夜中の川面を睨む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?