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【ジャパンカップ予想】高台の縁に住む男

男は天井の影を見ていた。
タバコの紫煙の向こうにぼんやりと広がる染みのような影だ。ペンダント型の電灯は板張りの天井までは照らさない。闇をすべてなくしてしまうシーリングライトは苦手だ。
遠くで救急車のサイレンが響く。東京の西にある高台の縁にある古びたアパートは、地名に馬がつくという理由だけで選んだ。北と南を幹線道路に挟まれ、急な坂がそれらをつなぐ一帯に住宅街が広がる。坂を上がれば、ちょっとした歓楽街、下れば桜並木と川が風情をつくり、路面電車が通っている。ネオンと癒しが同居するのはいかにも都会といった感じで、東京で生まれ育った男にはかえって落ち着く。この部屋に閉じこもってから何年が経ったのか。もはや記憶にない。

「ジャパンカップ」
そう声に出したところで、反応する相手はここにはいない。だが、男はそれを期待してはいない。孤独はいつしか孤独ではなくなる。仲間が自分の前から姿を消せば孤独を感じるのであって、長い間、仲間がいなければ孤独もなくなる。耐えるべきは最初のわずかな時間にすぎず、どうということはない。かつて家族がいた男はもはやその存在を感じる機会はほとんどない。むしろ独りになり、時間という贅沢を手にし、それだけで収穫というものだ。

書きかけの原稿をしまい、男は競馬新聞に手を伸ばす。収入源のひとつだった週刊誌が休刊という名の廃刊に追いやられ、仕事が減ったことは忘れることにした。年々、そんなばかり起こる。紙媒体の最下層にいるフリーライターは救われることはない。編集者は別の部署に異動し、新しい仕事を用意される。所詮は会社員だ。そんな雇われ身分をとうの昔に捨てた男は、収入を失うかわりに、好きにできる時間を手に入れた。

「時は金なり」
そうつぶやくと、男は口元を歪め、舌打ちをした。

1枠にイクイノックスとリバティアイランドがいる。なんでまた、こんな枠順になったのやら。白帽子に天才と女王を同居させるとは、JRAも無粋だ。だが、男の目にその2頭は入らない。そういった生き方もまた、とうの昔に捨てた。その隣、闇のような黒帽子にタイトルホルダーがいる。宝塚記念は強烈だった。生粋の逃亡者パンサラッサが1000m通過57.6のハイペースをつくるなか、2番手から余裕で抜け出してきた。後半1000m60.1で、末脚の速さは関係なく、スタミナの削り合いのような勝負だった。タイトルホルダーがもっとも得意とする形だ。実際、スローに落とし、わざわざ自身の力を抑え込むような形だと格下のレースでも負ける。

宝塚記念の走りはなんだったのか。そんな競馬が続いているが、今回はまたもパンサラッサがいる。距離も2400mと長くはない。距離を意識した組み立ては不要で、強気に出られる。パンサラッサに引っ張られ、宝塚記念の再現もある。東京の末脚比べは向かないという話も耳にするが、東京はダービー以来使っていない。これはタイトルホルダーが今のスタイルを確立する前のことだ。キタサンブラックもダービーで大敗したが、自分の武器を手に入れてからは、崩れていないどころか、GⅠ2勝もしているではないか。関係あるまい。そもそも2000mは短い古馬GⅠ馬にとって、出走できるレースが東京にはほぼない。よく考えれば分かることだ。昨年、渡仏したタイトルホルダーに選択肢はない。東京を避けていたわけではない。東京や京都で行われるGⅠの前哨戦はたいてい中山で行われる。それだけのことだ。

パンサラッサが逃げ、番手で追走する形になれば、いくら東京と言っても、単純な末脚比べにはならない。必ず忍耐力を問われる。ダラダラとした坂を上がって、残り200m。ここで脚を前に運べるかどうか。そんな勝負になるはずだ。枠順からイクイノックスかリバティアイランドが3番手を確保するかもしれないが、上等だ。タイトルホルダーを意識している証であり、得意な形に付き合ってくれるというなら、文句はない。スタミナでねじ伏せてしまうのではないか。

相手は関係ない。自分の道を行くだけだ。平均点をとりに行き、減点を減らすことで人生を守ることは捨てた。それでは加点は得られない。勝利もあれば大敗もある。人の真似をせず、顔色を窺ない潔さ。もうこの道しかない。でないと、前には進めない。同じところをウロウロして生きるのは辞めた。そう決め、このアパートに移ってきたときから、男は自由と地獄の狭間、まるでこのアパートが立つ高台の縁のような人生を引き受けた。なにごとも際が面白い。誰かがそんなことを言っていた。人と同じことを考えてはギャンブルも人生も勝てはしない。

「タイトルホルダー」

男は競馬新聞から顔を上げ、再び、天井の闇を睨む。


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