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BTSと「感情労働」~世界で一番有名なアイドルの健全な選択~

はじめに


「BTS活動休止」。先日、メディアにはこんなセンセーショナルな見出しが躍り、ファンのみならず世間がざわついた。しかし、それに関してメンバーたちが話した動画コンテンツ「BTS FESTA 2022」をちゃんと見ると、グループとしての活動をやめるなんて言葉はひと言も発されていない。

動画内でメンバーが泣いた理由を「活動に疲れてしまったから」という文脈で書いたり、SUGAが作詞における産みの苦しみを語っている部分を「一度も仕事を楽しいと思ったことがないと話した」と伝えたり、かなり誤った、偏った、おかしな切り取り方をしているメディアが多く、マスコミの仕事のずさんさ、汚さをあらためて感じる機会となった。

彼らが語ったのは、「グループ活動をより良いもの、そしてより長く存続できるものにするために、個人活動をスタートさせる」ということ。J-HOPEが話したように「すごく健全な計画」なのである。

これを聞き、私はちょうどそのとき読んでいた「感情労働」についての本を思い出した。以前、ブレイディみかこさんの著書『他者の靴を履く』を用いて、「BTSは他者を理解するエンパシー能力が高い人たちなのでは」と考察したことがあったのだが、「感情労働」は、同著の中に出てきて気になっていた言葉だった。

接客、介護、看護、営業、教師など人と密に接する職業は、ときに自分の感情を抑え、相手に合わせて業務に当たらなくてはならない。

『感情労働マネジメント』(田村尚子著)には、次のように書かれている。「顧客などの相手にその状況に適した、<怒りが収まる><満足感を得る>などの精神状態になってもらうために、相手に対応する人自身の心に、苛立ちなど自然に生起する感情をコントロールする職業的努力のことを<感情労働>といいます」

この意味で、アーティストやアイドルなどと呼ばれる人たちも、感情労働の従事者と言えるのではないかと、私は考える。感情労働は、「顧客から感謝や満足の声などを得ることもあり、働く人に達成感や喜びをもたらし、やる気が起こり、職場が活性化する」という肯定的な面がある一方で、「働く人に多かれ少なかれ精神的負担を課す」ことも事実だ。

そして、「ストレス対策を個人の資質や努力にのみ委ねるのではなく、組織の課題としてとらえ、チーム・組織レベルでどう取り組み、支援を行っていくかという組織の感情労働マネジメントが必要」なのである。

彼らが今回示した「個人活動に力を入れる」という動きは、感情労働によって生じるさまざまな課題を緩和して、心身共に健康にアイドルを続けていくためには大切な決断だったと私は思っている。彼ら自身も「BTSを長く続けたい」「このメンバーでずっと音楽をしていきたい」と話している。

だからこそ、今変革しなければならない。これまで、使い捨てが当たり前だった韓国のアイドル業界において、こんなふうに自らグループの長寿のために道を切り開き、問題提起をしたグループがあっただろうか。

私は彼らのこの決断にいたく感動して、BTSと「感情労働」についてひも解いてみたいと思った。そうして考えているうちに、彼らがさまざまな状況や感情、意識のはざまで揺れ動いていたことが見えてきた。


Part1 「やりがい」と「負担」のはざまで


感情労働とは何なのか。まずはその特性や種類などについて『感情労働マネジメント』(田村尚子著)を参考に、詳しく見ていこう。アメリカの社会学者・ホックシールドは、感情労働を「自分の感情を誘発したり抑制したりしながら、相手の中に適切な精神状態をつくり出すために、自分の外見を維持する労働」と定義している。

これをアイドルという職業に照らし合わせて書き換えると、「ステージやテレビ、動画配信などファンが見ている場で、テンションを上げたりクールに装ったりしながら、ファンに喜んでもらうために、自分のパフォーマンスやビジュアル、表情やファンへの振る舞いをコントロールする労働」と表せる。

感情労働は、マニュアルや会社の意向などの「感情規則」にそって「感情管理」をすることだと、ホックシールドは述べている。アイドルにはマニュアルはないけれど、彼らがアイドルらしく、華々しい場所に立つ人としてふさわしく、ファンに満足してもらえるような振る舞いを求められていることは間違いない。

また、それが自然に見えるようにすることも必要だ。どれだけ疲れていても、気分が乗らなくても、ステージに立てばそれを悟られないよう笑顔を振りまく。どれだけ迷惑なファンがいても、失礼なことを言う人がいても、なんでもないように大人な対応をする。そんな「感情管理」を、彼らは日常的に続けているのである。

同著では、スウェーデンの心理学者でストレス研究者でもあるカラセックが提示した、「仕事の要求度」と「仕事の裁量度」を軸とした図を用いて、感情労働とメンタルヘルスの関係性を表している。

縦軸の「仕事の要求度」は、忙しさ、仕事の多さ、時間的切迫感、突発性、仕事内容の難しさなどを指す。横軸の「仕事の裁量度」は、仕事のコントロールや意思決定の権限、状況に対する対処能力などを指す。これによって、感情労働とストレスの関係性は、大きく4つの群に分けられる。

BTSは言わずもがな、「仕事の要求度」と「仕事の裁量度」のどちらも高い「活性化群」に属する(もし、提供された楽曲を歌うだけ、パフォーマンスにも自分たちの意見が反映されないというアイドルであれば、「仕事の裁量度」は低いと判断される。しかし、BTSは自らプロデュースしている楽曲が多く、ステージの内容やパフォーマンスのクオリティについても自ら意見し、管理しているアイドルであるため、「仕事の裁量度」は高いと言える)。

この「活性化群」について、同著にはこのように書かれている。「働く人にとってはやりがいや満足感が高いとされています。ただし、仕事の量が過剰でかつ高度な質を限界を超えて要求され続けるとき、働く人の心身の負担は倍増すると考えられます」

韓国のみならず世界中に大きなファンダム=ARMYを持ち、多くの人に愛されているBTS。その愛を一心に受ける喜びは我々庶民には計り知れないもので、彼らにとっての宝物だ。だからこそ、仕事に大きな「やりがい」を感じていることは間違いない。しかし一方で、スターだからこそ、量も質も過剰に求められていることもまた事実。それによって、彼らは大きな「負担」を背負い続けてきたのだ。

Part2 「親密さ」と「距離感」のはざまで


アイドルとは、さまざまな感情労働のなかでも特殊なものだと思う。同著では「相手の特定性(不特定or特定)」、「対面or非対面」、「関わり時間(単発or中長期)」の3つの観点で、求められるスキルや感情管理の方法を4つに分類しているが、アイドルはそのどれにも当てはまらない気がする

1)不特定/単発・一時的/対面=ホテルスタッフ、客室乗務員、自治体窓口など
2)不特定/単発・一時的/非対面=コールセンターオペレーター、相談員など
3)特定/中長期/対面=教員、医師、介護施設職員、カウンセラー、営業職など
4)特定/中長期/非対面=電話カウンセラー、電話コーチングなど

アイドルは、「不特定」のファンたちと、「中長期」にわたり、「対面・非対面両方」で関わっていくことがほとんど。だから、これらすべての職業に必要なスキルや、感情管理の方法を用いらなくてはならない。

1)の場合は「表層演技(つくり笑いなど)で対応することも可能ですが、<特定で中長期>に関わる相手の場合には、このような対応は信頼関係の構築を阻害するなど、むしろ弊害となることがあります」とあるが、「不特定」の人を相手にするアイドルは、「特定」の人を相手にする職業と同じくらい、信頼関係の構築が必要な職業なのである。

特にBTSはそうだろう。「ARMYがいるから頑張れる」「ARMYのために曲を作り、パフォーマンスをしている」「ARMYなしでは何も成し遂げられなかった」とメンバーたちが口々に語るほど、その存在は彼らにとってとてつもなく大きなものだ。けれど、彼らが心底ARMYを想い、尊重し、感謝するあまりに、彼らのなかに無意識のうちに負担が積もっていったとも考えられるのではないだろうか。

同著には、感情労働にネガティブな影響をもたらす5つのキーワードとして、「我慢」「演技」「一体化」「深入り」「互酬関係」が挙げられている。そのうちの「深入り」が、BTSとARMYとの感情労働を介した関係性を語るのに、わかりやすいかもしれない。

心を込めて相手のためにと一心不乱に全力で対応し、より良いサービスを目指し、相手に深く関わろうと<深入り>していく過程で、当事者に自覚がなくとも<情緒的エネルギー>を大量に消費しており、情緒的資源の枯渇に至るケースも少なくありません」とあり、それを「バーンアウト」と表している。

また、「自らの役割に誠実な人ほど、日々接するクライアントと、このような感情のやりとりを繰り返していく中で疲弊し、消耗していく」、「感情労働は感情労働者と相手との関係性の中で行われるものであり、相手の要望に応えようとするとき、提供するサービス・責任の範囲や感情労働の役割の曖昧さという特質から必然的に無限定、無定量なものになりやすく、この点も<深入り>に陥りやすい要因」とある。

類まれなるエンパシー能力を発揮し、「一人一人の生活や、夢を知りたい」と誠実に、真摯にARMYと向き合ってきた彼ら。この姿勢が<深入り>を招いて、気づかぬうちに心身を消耗させていたとしてもおかしくない。

今回、個人活動に力を入れることについて語った動画「BTS FESTA 2022」のなかで、メンバーたちは「こんなこと(個人活動をしたい)と言うのは罪なことのように思っていた」「ARMYたちに憎まれたくなかった」と話している。この言葉は「ARMYを悲しませるかもしれない」ということに対して、過度に恐怖心や不安を抱いていたことの表れなのではないだろうか。

「7人でBTS」「7人でなくちゃ」「この7人が大好き」……。これは彼ら自身も抱いていた想いだけれど、ARMYも強く胸に抱き、声高に叫び続けていたことでもある。BTSもARMYも、双方があまりにも「7」を神格化し過ぎてしまったがために、まるでそれ以外がタブーであるかのように扱われていた

しかし、彼らがこうして「7」を、「1+1+1+1+1+1+1=7」としようと決め、それをARMYに自らの口で語ったことには、大きな意味があると思う。

それは、組織・産業心理学が専門の久保真人教授が「深入り」の予防策として推奨している、「突き放した関心(detached concern)」という態度に近いものがあるのではなかと思うからだ。

「突き放した関心」とは、「相手に共感しすぎたために、冷静な判断ができなくなったり、相手と同じ『重荷』を背負ったために、心身ともに消耗してしまうことを防ぐための技能」、「相手に共感しながら一定の距離を取る、一見正反対に思える2つの姿勢を個人のなかで矛盾なく両立させるという高度な技能」のことで、「サービス従事者として高いレベルの仕事を維持しながらも情緒的消耗を回避する効果的な対処法」である。

「親身ではあるが<深入り>し過ぎない、絶妙な<バランス力>が感情労働の現場で仕事を継続するために重要」だが、それはなかなか難しい。けれども今回彼らは、ARMYに感謝し、ARMYとの「親密さ」を担保しながらも、ARMYたちが嫌がるかもしれない「個人活動」の提案をして、自分たちにとって必要なことを遂行しようとした。相手を尊重しながらも、きちんと「距離感」を保つ。「深入り」による情緒的消耗を、自ら回避したと言えるのではないだろうか。

Part3 「キム・ナムジュン」or「RM」のはざまで


「今日は誰になってる?キム・ナムジュン or RM ?」

これは、BTSの『Airplane pt.2』という楽曲の歌詞の一部。「キム・ナムジュン」はリーダーRMの本名で、めまぐるしい日々のなか、今日はキム・ナムジュンとしての自分でいるのか、BTSのRMなのかと自分に問いかける内容だ。

『IDOL』という楽曲には、「俺の中にいろんな自分が何人もいる」という歌詞が出てくるし、J-HOPEのソロの楽曲『EGO』にも、「ふと過ぎる J-HOPEではないチョン・ホソクの人生」という表現がある(チョン・ホソクは、J-HOPEの本名)。

また、SUGAは家族に「お前がBTSのメンバーでもそうでなくても関係なく愛している」と言われたこと、RMは先輩に「RMとしてのお前がダメになっても、キム・ナムジュンが滅びるわけではない」と言われたことを話している。

さらにVは、「自分の中からたくさんのペルソナが出てくるといい。グループ歌手としても、ソロ歌手としても、役者としても、写真作家としても、日常を生きるキム・テヒョンとしても」とインタビューで答えている。

自分は、たった一つの顔だけを持った人間ではない。彼らはそれをよく理解している。以前書いた『BTSはなぜこんなにも愛されるのか?~メンバー全員GIVER説~』の中でも触れたが、このことについて説明するのにとてもわかりやすいのが、平野啓一郎さんが著書『私とは何か 個人から分人へ』で提唱している「分人」という考え方だ。

「本当の自分・偽りの自分」「表の顔・裏の顔」などというものはなく、家族といるときの自分、親しい友人といるときの自分、同僚といるときの自分、得意先でプレゼンしている自分……など、自分には相対する人と同じ数だけいくつもの顔があって、それらがすべて自分であり、その一つ一つを合わせて個人が作られているというもの。

これを踏まえると、例えばRMには、大きく分けて「①BTSとして活動している自分(コンサート、リハーサル、撮影、取材など)」、「②個人名義=RMで活動している自分(作詞、作曲、コラボレーションなど)」、「③キム・ナムジュンとして過ごしている自分」がいる。

③のキム・ナムジュンの顔には、家族、友人、知人、先輩、後輩、好きな絵画の作家、好きな詩人など、細かく相手ごとに分人がある(もちろん、RMの顔にもいろいろな面がある)。

この中であきらかに彼が時間と労力をとられているのが、「①BTSとして活動している自分(コンサート、リハーサル、撮影、取材など)」。この分人が日々、自分の大半を占めざるを得ず、ほかの分人を生きる時間とエネルギーを侵食してしまっている

BTSメンバーの分人比率のイメージ

「BTS FESTA 2022」のなかでRMは「たくさん考えたり1人の時間を過ごした後、それらを成熟させた状態で自分のものとして取り出せるようにしないといけないのに(中略)、物理的にこのスケジュールをこなしながら成熟することができなくなった」と語っている。

また、彼は以前に「僕は昔から本をよく読んでいて、文章を書いたり言葉について考えたりするのが好きだった。例えば<悲しい>という言葉の反対語は<うれしい>だけれど、<寂しい>の反対語はない。なぜだろうと僕なりに考えたのは、人は寂しくないときが一度もないから。そんなふうに考えたこと、思いついたことを書き溜めておいて、そこからテーマにあった言葉を組み合わせて歌詞をつくる」と話していたことがあり、①以外の②や③の時間でしっかりとインプットをすることが、創作に大きな影響を与えていることがよくわかる。

同じく「BTS FESTA 2022」で、JINも「グループ活動をしていると、自分が機械になってしまったような感じがする。自分がほかにやりたいことがあっても…(それができない)」、Vも「正直僕は、やりたいことが多い。音楽以外の僕の中にあるものを見せたいと考えていた」と話している。

また、SUGAは「僕らがどうしてこの仕事を始めたのか。それは自分がやりたいことであって、自分が幸せになりたいから。(中略)ゲームをする、音楽を作る、休む、そういうことを自由に選べていることが大切。どうせ100歳くらいになったら死ぬんだから、やりたいことをやらないと」と語っている。

BTSの活動はもちろん彼らのやりたいことの一つではあるけれど、すべてではない。それは一人一人が独立した人間で、BTSの9年に及ぶ活動を通じて成長をし、自分だけのスキルを身に着け、興味を見つけてきたからこそのことなのだ。

JINは直近のインタビューで、「メンバーたちはすごく意欲的だが、同時に欲が少ないともいえる。グループとしての欲はすごくあるのに、個人的な欲は、グループを優先して考えて引っ込める部分がある。(中略)みんなグループについてまず考えている。みんな自分で考えて一定部分自己犠牲をしながら、常にグループのことに協調する」と話していた。

しかしながら、この状況を変えてみよう、これまで抑えていた個人的な欲を優先してみようと、彼らは考えた。いわば、自分の中の「分人」の構成比率を整えてみようということなのだと思う。感情労働に従事している分人の割合を少し減らしてみる。BTSの活動を通して受けていた大きなプレッシャーを少しおろしてみる。それだけで、彼らの心の負担はずっとずっと軽くなるはずだ。

「BTSは僕にとって家族。危機が訪れたら誰よりもお互いの味方でなければならないし、うれしいことも悲しいことも共にしなければならない」(RM)

「(メンバーは)友だちだ、兄だ、家族だというより、ただいつも帰ってくる場所」(JIMIN)

「自分一人で2時間ラップをしてステージに立ったって、おもしろくない」(SUGA)

「僕はBTSの活動を一番楽しんでいるうちの一人だと思う。一人でやっていたら成し遂げることができるだろうかと思うことを、BTSを通して経験している」(J-HOPE)

「メンバーみんな欲があって思慮深く、音楽的にずっと欲を出し続けてくれて、そういう姿を見せてくれてありがたい。僕はそんな姿を見て育った」(JUNG KOOK)

「グループだからこそできるし、感じられる幸せがある」(JIN)

「僕たちがどんな音楽をして、どんな道を歩むとしても、応援してくれる人が9割だと思う」(V)

これでも「活動休止」とか「解散」とか言えるんだったら、言ってみろ。「さみしい」とか「7人じゃない姿は見たくない」なんてほざくな。私はそう思っている。

各々の活動はもちろん、それを通して得たものを持ち帰り、BTSがさらにグループとして力を増すのを見られるのが、楽しみで仕方ない。ソロで先陣を切る我が推し・ホビのアルバムとフェスでのパフォーマンスに胸が高鳴る。

本当にかっこいい人たち。私はあなたたちの決断を全力で支持して、応援します。
(完)


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