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笑み割れる

 小学生の頃によく遊んでいた広場の隅に大きな栗の木があって、毎年秋になるとその下に大量の毬栗が落ちていた。
 当時のわたしは栗を見ても、食べれるものだとは思っていなかった。ただ、イガの中から覗く艶やかな茶色に惹かれて、せっせと栗を取り出していた。上級生がやっているのを見て、そういう遊びだと思っていた。そうして拾った栗をどうしたのかは記憶にはない。持って帰ってはいないはずだから、一緒に遊んでいた子にあげたのかもしれない。

 そんな栗の状態を言い表す言葉があることを知った。

えみわれる【笑み割れる】
クリのいがやザクロの実などが熟して、自然に割れる。

 現在のわたしはもちろん、栗を食べるし、美味しいことも知っている。
 でも、あんなふうに毬栗がごろごろ落ちている風景に出会うことがなくなってしまった。
 あの広場の栗の木はまだあるのだろうか。

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