【ネタバレあり】レディ・プレイヤー1の感想

レディ・プレイヤー1、みました?

観てない方は、早く観に行くんだ!IMAX3D字幕がオススメ!!!
VRとかわからないし、、ってかたも是非。基本的には冴えない僕もヒーローになって世界を救う!大切な人も守らないとね!みたいなハリウッド的ヒーロー映画だから、普通に楽しめると思います。

ということで、前振りしましたので、観ている人を対象に色々書いていきたいと思います。

原作を読んだわけでないのでなんとも言えないですが、VRだなんだよりもやっぱりハリウッド映画ですわ。映画として面白い。
ベイマックスと類似点出していったら結構あると思いません?ようするに、ちゃんとヒーロー映画で、VRが当たり前になった近未来のifヒーロー映画って感じじゃないですか。

で、なんで長い文を起こそうかと思ったかと言うと、色々出回ってるレビューが気に食わない!!そうじゃないじゃん!みたいなのがおおい!!!
ので、そのへんを回収しながらぜんぜん違う視点も入れながら書いていきたいなと。

・近未来の話なのに出てくる作品が全部古い!
いやいや、ハリデーが体験した好きだったポップカルチャーの影響を受けた世界がオアシスなんだから、ハリデーの原体験的世代の作品が多いのは当たり前でしょ?

・オマージュばっかりで前知識がないと楽しめないのは。。。
いやいや、この作品のオマージュって全部イースターエッグで、例えばメカゴジラ対ガンダムだって、一番わかりやすい要素だけどあそこで悪そうなロボットとサムライ操るビームサーベルのロボットが戦うだけでもアツいじゃん。ちゃんとそういう風に作ってるし、見つけられればもっと楽しい。何度でも楽しめる映画なだけですよ?
僕だってわかったやつもあれば分からない奴もあっただろうけど、そんなの関係なく映画の主題は伝わる作りになってますやん?

・VRの世界の仲間がみんなリアルでそんな近いところにいるのは。。。
まぁそれはね、、、物語のギミック的にしかたないね。。。
もしかしたら、あのコロンバスのスラム街がゴールドラッシュ的にオアシスに夢を求めてる人が多くて、実は2045年の世界でもあんなにみんなVR漬けの世界なのは普通じゃない可能性もあるけどね。

などなど。色々あるよね。
VRの映画っていう触れ込みで期待が良くない方向に過度だったと思いますよ。誰も、VRの未来を予言して指し示す映画だなんて言ってないのにね。

で、この映画の一番のポイントってのは、世界に二面性があるってことだと思うんです。
オアシスの世界が、社会として成り立ってて、それで実際の生活で使える金銭を稼ぐことも出来る。でも勿論実際の生活がある。オアシスの自分をもうひとりの自分として認識している人がたくさんいる。
オアシスで死んでデータ失って発狂して飛び降りようとした人がいましたが、そんな風に自己同一性の境界がおかしくなっている人もいれば、ウェイド(パーシバル)のように、オアシスでのヒーローになれている自分に存在価値をもとめて、本当の現実に絶望して受け入れたくないとおもっていた人もいる。
そんな二面性の世界で、最後強大な敵と二つの世界両方で戦い、現実ではなんの力も持っていなかった5人が、オアシスの世界で呼びかけることで現実が動く。現実で救世主たちの力になりたいと思う人達が現れる。
でも、銃持ってる相手にビビってみんな引いちゃう。

これ、すっごい大規模オフ板とかTwitterの祭りに近いなっておもって、現実に動けるなら動こう!ってやっぱり思えるけど、現実での勇気レベルは誰かが口火を切らないと変わらない(あのシーン1人馬鹿がいて殴りかかってたらみんなでタコ殴りにしてるやつですよ。フーリガンフーリガン。)
そういう二面性の社会が、本当に生活出来るレベルで行われていて、起きてる間ずっとFF11やってる人みたいな、でもオアシスでお金稼げば生活に必要な物資も手に入りそうだし、現実はある程度質素で良ければ本当にオアシスで暮らせる。

でも、それをハリデーは望んでいなかった。

ハリデー館の過去録シーンで、ハリデーが言いあいの中で、
「オアシスがただのゲームだった頃が一番楽しかった」
的なことを言うじゃないですか。
これが、エンディングにつながってると思うんですよ。

現実のリアルのすばらしさを、おいしい食事はリアルでしかとれないからね。って最後に言うけど、それだけじゃない色んな要素が、
「オアシスがただのゲームだった頃が一番楽しかった」
につまってるとおもってて、
現実社会って世知辛いじゃないですか。世知辛いのじゃ〜。にみんな共感するじゃないですか。
オアシスも、世知辛い社会にある程度なってたと思うんです。
だから、オアシスは楽しいゲームだから、夢のある世界だからおやすみをつくって、現実をみて生きていくようにしたんじゃないかなーって。
おもうんですよねー。

これからどんどんVRやARは生活に馴染みのあるものになってくとおもって。
昔生活と分離したもう一つの社会だったインターネットのコミュニティが、今や当たり前に実社会とリンクしてしまったように、VRやARもそうなってくると思う。
そのとき、もしかしたら本当に2045年に、あの時予言されてた現実ってこれだったわって、なるんじゃないか。
VRの映画って触れ込みは多いに誤解を生んだと思うけど、そういう社会の予言は含んでいるよねって。思うんです。

ではでは長くなりましたが、もしここまでよんでくださってる方がいればありがとうございました!

語れば幾らでも語れるし、誰か飲みながら語ろうぜ。。。

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