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日記4/22

漫画家というのは二次元空間の支配者でなければならないと思っていた。ペン一つで地球を壊し、死体をよみがえらせ、セックスしないと出れない部屋に閉じ込める。乗り気じゃないのにしてみたら相性ばっちり。ドアは空いているのに出ていきませんでした。おしまい。ちゃんちゃん。だがその支配はあくまで世界の支配でしかなく、座標平面としての支配について考え始めたのはつい先日の事だった。

うみべのまちという漫画(漫画集)を買った。お会計3520円になります。ポイントカードはお持ちですか?袋は有料となりますがいかがいたしましょうか?お買い上げありがとうございました。読んだ。買うのは初めてであったが別に読むのは初めてではなく、数年前知人の家で読ませてもらったのが最初だ。その時はなんだかすげーな、これ、程度の感想であったが、その後ことあるごとに喉に刺さった小骨のような存在感を脳内で放ち続けていた。最近クオカードを貰ったりしたし、図書券の残りも潤沢にあるし、今日この日を以て飲み込んでしまおうではないかと新宿まで出かけ、結果無事何の困難も無く今更手元に置かれている次第だ。

この漫画は所謂一般的な漫画からはかなり逸脱している。読む前からして、漫画だというのにハードカバーであるあたりからどうも"違う"事がわかる(全集的であるのであってもおかしくは無いとはいえ)し、1ページでも開くと、途端にストーリーや時系列の無い絵の連なりがどんどん飛びかかって来るのだ。すべてがすべてそうではないけれど、7割はそう。初めて読んだときにまるで散文詩のようだと思った。その感覚は作者の狙い通りだったらしい。つまりストーリーやキャラクターの伝達手段の一つでは元からなく、読者自身の人生を見つめなおすような、、、、

7割は、1ページに詰まったただの絵の集合体でしかない。しかしコマ割りがあり、文字があり(多くの場合意味が見出しにくいが)、支離滅裂過ぎるかというには何かつながりがあるように見える。自分で漫画って言ってるし。じゃあ何か意味があるんだろうな、と、ひとたび読み始めれば世間一般的な漫画とは違い、この一連の情報認識の結果何を見出しますか?という実験に付き合わされる事になる。

実験を開始し脳が回転し始めると、だんだんと今までの人生で培われていたコマ割りという物の意味が解体されていく。今までただ漠然と目を滑らせていただけのコマ、その概念が言語化されていく。コマは、時系列ではなかったのか?因果ではなかったのか?不可逆に流れる何かを順番で表現した概念では?起承転結があり、序破急があり、12時から15時への推移があり、殴られたから血が出るのではなかったか。転んだから今女性の胸をむんずと掴んでしまっているのではないか?(私は、普段こういった漫画ばかり読む!)左から右に読むと途端に崩壊し、立ちどころに文脈は星の彼方へ飛んでいくはずでは。目が冴える様な愛してるのキスの後だというのにこの人は本当に私のことが好きなのかしらんと疑惑を抱くし、西から上った太陽が東に沈む。

解体が一通り終わると脳は新しい意味を求め走り始める。その意味の言語化は難しいけれど、なにか掴んだような気にはなる。絵が同じ座標平面にあるだけで関連が生まれる。関連により絵は漫画になり、ただのイラストには戻れない。解体された骨肉が再構成されていく。この漫画は座標平面上をどのような理をもってして支配しているのかあるいはするつもりなのか?正解はこちらにゆだねられている。頭が走る。プルプル揺れていて、かわいいね。

走った先に何があるのかはわからないし、どこで止まればいいのかはわからないけれど、今まで走らなさ過ぎたなと後悔した。


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