日記1/24

オーファック

最近の気づき傑作選

・毎日8時間睡眠を1週間は続けるとおめめがパッチリになる
・ざっくりとしたAI絵の見分け方は指の関節の描写(正答率7割程度)、背景の直線部分(線が無意味にガタガタであることが多い)
・机の綺麗さが精神の安定に寄与する
・九段下は都営とメトロを改札通らずに乗り換え出来る(ノーラッチと言う)ので通学定期と組み合わせると山手線の内側は概ね200円くらいで行ける
・モヒートはミントをシュガーシロップにある程度漬けてから作るとうまい
・モヒートは別にライムを入れなくてもうまい

楽器演奏(モニターについて)

楽器演奏ってマジで難しい、特に出音のモニター。まず竿物に関して、基本的にスピーカってヤツは演者の耳の方向を向いてない。せいぜい膝丈くらいのジャズコから腰くらいまでは一応あるマーシャル、首の高さくらいまでくるベースのキャビまで、耳に当たる位置には基本配置されていないのである。じゃあちゃんとモニターするにはどうするかというと単純に離れればいいってわけなのだが、ここで問題となってくるのは東京にあるだいたいのスタジオってのはクソ狭いって事だ。オーファック、身動きが取れない。そもそも縦長の部屋の短辺と平行に置かれていたりして距離を取るという概念がハナから消失している場合もある。じゃあっつって初めの音作りのタイミングではしゃがんでスピーカの正面から聞こうとする。でもずっとその姿勢で弾くわけにもいかないし、と椅子に座るなり立つなりしたとたん自分の音が聞こえなくなり、、、でもちょっと離れた所にいる他のメンバーからはちゃんと聞こえてる。自分は聞こえない。オーファック、完全迷子状態。自分だけ目隠しさせられて右往左往している様子を周りからはバッチリ見られているといった、、、、あとは指向性の問題がある。当たり前の話としてスピーカ正面は音が飛んできて良く聞こえるが、ちょっと横にそれると一気に聞こえが悪くなる。ステージから客席が少し離れており、それなりのPAシステムが構築されている場なら問題ないが、そうでない場合は聞く場所でクソほど音量バランスが変わってしまう。これがなかなか堪える。同じライブなのにギターソロ小さかったねとギターソロデカかったねが共存しうるのである。オーファックだね。
とはいえ、動ける分モニターが出来る、やりようが無くはない竿物に比べて最悪なのはドラムである。ドラムってのは演奏中基本的に動けない。(ここでいう動けないというのはドラムセットとの相対的な位置関係が固定されているという事である。モトリークルーなんかはセットごとグルグル回るがそういう事ではない)って事はどういうことかというと外音が一生わからないって事だ。ここでいう外音は自分の外(ドラムセットの向こうで聞こえる音)とバンドの外の音(客席で聞こえる音)両方だ。以前どこかで歴史上最高のバンドはレッドツェッペリンなる話を見た時、じゃあ一生客席でレッドツェッペリンの演奏を見られない演者のあの4人は歴史上一番不幸ってコト!?などと思ったが、いうてケーブルが長けりゃフロント3人はやろうと思えば外音が聴けるわけで、究極に不幸なのはボンゾだけ。ボンゾは外音のバランスの中でどれだけ自分がバカデカい音なのか演奏中は一切わからなかったし、結局どんな音が出てたのかはせいぜい2チャンネルまで情報圧縮された音源を聞くくらいでしかわからなかったのである。オーファック、ドラマーは外音が聴けない。しかもドラムの音ってのはPA側でガチガチに弄る事が多く、ライブハウス次第で全然音が変わってくる。バスドラだけをガンガン出すところもあれば、セット全体をコンプかけてパキパキにする箱もあり、それをこちら側でコントロール出来ない。いつもより小さめに叩いたつもりでもPA側のバランスでバカデカドラム完成、てな事も多い。昔新●月のコピバンでドラムを叩いた時にピアノ(強弱としての)くらいで叩いたつもりが後で録音を聞くとフォルテくらい、フォルテで叩いたつもりの箇所はフォルテシシモくらい(f3つ!)になっていて愕然としたことがある。どないせいっちゅうねん。

ポコ
チンポコとは言うけどマンポコとは言わないよな。それってつまりチンの方にポコの要素が含まれているということなんだけど、じゃあポコって何?男性の皆様は自身に内在するポコに意識を向けた事はありますか?あるいは、女性の皆様はポコの欠落に苦しみを抱いたいたりしますか?チン-ポコではなくチンポ-コだったとして、ではコとは?コ・ドライバーと同じ?チンポ-「共同の」?エロスだが、ちょっと意味を含み過ぎてるし、チンポコってのはもう少し汎用的に利用されているワードだと思う。マンココって言わないのは公序良俗に反しすぎるからか?

快楽は、それを得たものの財産である。ひとは、誰とでも寝る「自由」があり、その障碍になるのは行方不明の神でも、正常さという名の惰性的習慣でもない。ただ、嫉妬だけが恐ろしいという点で、ぼくたちの見解は一致している。もし、嫉妬さえなくてすむなら、性に関するさまざまのタブーは、一気に瓦解してしまうだろう。

角川文庫「書を捨てよ、街へ出よう」p.10

センセもこうおっしゃられてますよ。マンココは駄目なのでしょうか?

いやまあググれば語源とか出てくるなのかもだけど。そういう事ではない。

ロシア構成主義及びジャパンアヴァンギャルド

渋谷ヒカリエでやってるジャパン・アヴァンギャルドポスター見本市
https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/240113avant-garde.htmlを見てからコラージュ熱が高まっている。俺は絵の中に実写の人間がコラージュされているのが好きだ。横尾忠則とか、ロシア構成主義の諸作とか、そういうの。そういうセンスを育もうと自分でもフォトショップをこねくり回し色々作ってみたりしてるがどうもうまくいかない。別に芸術家として世に作品を問おうというレベルではないのだから、それっぽいものが出来れば十分満足なのであるが、それっぽいものすら出来ない始末。観察すると幾何図形との絡みやコラージュの構造が絶妙で、ああそれっぽいもの程度の意思だとそうそう到達できる表現ではないのかもなと思ったり。とりあえず金銭的な余裕が出来たら画集とか買おう。


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