日記12/19

歌詞書くのってむっちゃ恥ずかしい

文字を連ねる行為は様々なタイミングで存在するものの、詩を書くってのはダントツで恥ずかしい。この手の書き散らしはテキトー――――――――に入力してっても別に何とも思わないし皆さん(特に何も俺に言わずにこの日記を見ている皆さん)も何とも思わないでしょ?普段ニコリともしない奴がギャル語でぁーしわ、もうかれしののうミソ、おでんの具にするしかなぃ、とか書いてたらかなり思うところあるけど、そうじゃないし。普段の口調からそこまで逸脱しない口語の分なら別に恥ずかしくはない(もっと恥じろという意見もあるのかもしれない)、がそれに比べ歌詞ってのは断然恥ずかしい。

詩ってのはその人間の語彙力、世界の見方がストレートかつ凝縮されて出てくる。1000字くらいたらたら口語的に書いてたら語彙力もクソもあんま無い世界に容易に到達できるが、詩はそうじゃない。せいぜい数十字程度で、本質的な表現をしないとならない。するとどうだろう、言いたいことから言葉選びまでセンシティブにならざるをえないわけだ。そうやって頑張って選んだ言葉には価値観や人生が直で出てくる。へえ、君は「I love you」を「月が奇麗ですね」って表現するんだ(笑)「セックス」の事、「仲良しする」って言うんだ(笑)「野球」を「の、ぼーる」って発音するんだ(笑)、etc…..これはもうたまらなくつらい。心の奥底と経験を直球で開示してるのと同じだ。数ある表現の中でどうしてそれを選んだのか…?それは幼少期正岡子規に野球を習ったから…いやいや、恥ずかしいですよこれは。音楽は技術だの趣味だのである程度片付けられたりするが、全国1億2万人くらいの皆様におかれましては、日本語というのは生まれてから死ぬまで意思疎通に使うコンテンツ、音楽なんぞと比べて圧倒的に意味合いを見出しやすいプラットフォームの上で君ってポエミーな雰囲気の割に浅いことしか言ってないね(笑)なんて言われた日にはもう、さよなら、さよならを教えてもらわずともさよならを知ってる状態突入。心のやわらかい所をさらけ出せるのが優れた表現者ってのはわかるのだか、かといってじゃあ自分が出来ますか?っつーとそう易々とはいかないわけである。

そんなこんなでワンフレーズすら歌詞が書けない12/19の夜。とても寒い。谷山浩子みたいな詩が書きたい。

追記12/25:「セックス」の事たまごっちでは「みくす」と言ってるらしい。そういう屈折した性教育でおかしくなる人も居るんじゃないですか?子供は愚かだがバカではない。

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