日記10/29

曲を作ろうとしている。している、ということは全く出来てないという事であり、以下に続くことはただの言い訳に過ぎない。

曲を作るというのは難しい。理論がどうこう、と言うよりももっと抽象的なレベル、そう構造物を生成するのが難しい。どういう構成にするか何を歌うか、空間を作るのか平面のメッセージを送るか。構造物というのはどうも自由度が高すぎる。ある程度の制約があれば道筋も見えるものだが、その制約すら自身で生み出すほかない。商売ならまだしも、そうではないのだから。

while(true){
ではどうしようと自分の中身を引っぺがしてネタを探そうとしてみる。出てくるものは何か?飯がくいてえ、あいつは良いやつだ嫌いなやつだ、セックスがしてえ、ダルい、遠くに行きてえ、あとは根本の根本にドロドロとした万物に対する怒りと憤り…でもこれらはどうも風呂場で思いついたドリア旋法のやや明るいテーマには合いそうもないし、サウンドとして好きな調性があやふやな和音にもダメそうな感じだ。もしやるならもっとストレートでマッシブならいいかも、だがしかしそもの話としてもこんなものを表現して誰かに聞かれたいとも思わない。うおー俺はセックスがしたいんだぜベイベー、お前は気に入らないからぶん殴るうぉー、ていやいや、女のヒトが言う「誠実な人」って自分の感情と欲望に誠実な人じゃないワヨなんてネットの記事がフラッシュバックする、そうなのですか。そうでないのですか。どうでもいいが、どちらだとしてもギターやベースを男根かハンマーのメタファーにするつもりには到底なれない。;

じゃあせめて好きな物を取り上げてみよう。人の居ない都会とか、デフォルメされた自然とか、盛り込んでみよう。おおなんかなんとなくイメージが見える、イメージは見える、がどれも蜃気楼だ。海岸の向こうに見える蜃気楼ではなく今足元で砂の城を作る為の設計書が欲しいのだ。蜃気楼に目を凝らす。アレッ、蜃気楼が消えゆく、消える前に言語化しよう、メモを取ろう。「リバースシンバルで壮大な感じを出す」…………うーん。しかし蜃気楼は見えていた。脳内から手繰り寄せてみる。ああなんか出てきそう。とりあえずで砂を盛ってみる………これが綺麗なのか歪なのかかっこいいのかかわいいのかどうしても判断が付かない。人の創作物にはやれサウンドプロダクションが悪いだのメロディにセンスがないだの言えるクセにな。どうも何かでぼやけてよく見えていない。仕方ないから次にいこう。しかし蜃気楼はもう出てこない。ああなんか一気に盛り上がるこことダウナーなそこを繋ぐ橋が欲しいなあ。橋の蜃気楼が出るのを待つ。出ない。目をつぶって考える。出ない。気づけば日が暮れ、帰りのチャイムが鳴る。今日はバスに乗って帰ろうか。家最寄りの停留所まで帰ると目の前には生活が待っていた。先行研究を調べてください。後輩に指導してください。わかりました。生活に吞まれましょう。………;

ふと思い出しバスに乗る。海辺での記憶は遠く遠く向こうに霞んで吊り上げられない。波の音を聞いて日が暮れる。今日は調子が悪いかもな、早く寝て、また今度やろう。最寄りの停留所でブーっとバスのドアが開く。生活に呑まれる。………;

ここで考える。自分に主張したいことなどあるか?創作の目的は?どうして音楽なんでしょうか?質問が飛ぶ。考える。曲の構想ではなく根源について考える。やらなくても良い言い訳、やらない選択をした言い訳を掘り起こそうとする。うんうん唸る。いやいや作業に戻るべきでしょう。作業?作曲は作業?自己評価とは作業?………これはwhile文の中だ。最初の処理に戻る。trueがいつfalseになるかは全くわからない;
}

曲を作るというのはひたすらに難しい。しかしそのものが出来上がらない以上、たとえ1590の文字をどう紡いでもただの言い訳に過ぎない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?