見出し画像

終景誌 ─幻想小説家が考案した地名に由来する十圏の地誌─

はじめに 本作品は、架空の土地や都市にまつわる研究書のかたちをした物語詩です。以下のコンセプトや制作記録に基づいて、地名原案の無鳴クモさんのご協力を頂き創作されています。
※全十章を予定し、現在執筆途中です。完成した章から掲載しています。

 前書き

 本稿は、地誌でありながら、〈列島〉全土の地理的特徴を明確に記したものではない。
 著者は、いまもって〈圏内〉から脱出不能であり、外部資料や客観的視座によってこの土地を分析(リモートセンシング)することができない。
 また、本稿は研究対象である〈列島〉の性質上、アカデミックな価値を有さない。しかしながら、既知の地理や文化、都市システム等との比較研究については有用であると考えられる。
 本稿は、著者ら自身の体験を事象として記録する過程で生じた限局的知覚・感覚に言及する。その際、個人にとっての現実とは何か、実存についての思索を私小説的に論ずる傾向にあることを前もって述べておく。

 次に、本稿と〈列島〉の性質について概略を説明する。
 本稿の執筆にあたり、私たちが見たまま体験したままを記すことは、仮に表現者のおこないであれば正しくとも、地誌の編修者としては学術的な繊細さを欠くという見方が優勢であろう。
 そうした向きへの納得と、私たち自身のやすらぎのために、まずは私たちの現状を明らかにする必要がある。

 本稿があくまで研究書としての体裁を保とうとするのは、生半な記述方式を用いるべきではないと判断したからだ。状況はいかなる客観的事実をも棄却する。
 そもそも客観とは多くの場合「統計」または「論理」といった認識構造を意味する。私たちは、完全なる客体の視点とは、一見完全に思われる定点カメラの撮影のようなもの“ではない”と考える。
 定点カメラを例に挙げるならば、場所には記録機械の設置者の意図が必ず介在するはずだ。記録対象が地を這う生き物ならば地面を、天体ならば空にレンズを向けるべきである。目的のないスナップショットにしろ、撮影者の意図を多少なり読み取ることができるだろう。
 私たちは、客観とはある認識下において【そこに存在しないものすべて】を指すのではないだろうかと考えた。
 つまり、私たちに起こった出来事を客観的に語り得るのは、それについて一切見聞きしなかった者だけである。
 記録はかならず体験の後に書かれる。よって本稿も、「存在しない者によって客観的に記録されなかった」頼りない記憶を再構成する形で成立する。

 以上をふまえ、なおのこと本稿に信頼をおけないという心積もりを固めた読者も居るかもしれない。本稿は、確かに、ここに収めた体験と事象が嘘偽りない事実の記録だと〈信じる〉ために作成された文書であることを否定しない。
 よって、本稿の読者は、〈列島〉を未体験で、〈圏内〉の影響下にない者を想定している。賢明な読者や紹介者が本稿の虚実を見抜き、我々当事者以上に事象への理解を深めてくれることを願う。

 ここで、〈列島〉と〈圏内〉について私たちの解釈を述べてから、各地域のフィールドワークの記録に移る。
 事態に陥った瞬間の私たちに、議論や論理的思考の余地が無かったことは言うまでもない。
 当時、私たちが調査を行なっていた空木山の天候は申し分なく、視界も晴れて下山までに天気が崩れる心配はなさそうだった。
 最初の異常を認識したのは、まさしく帰途につこうという時だ。私たちの乗っていたバンは、なぜか横転して完全に故障しており、加えて何十年も放置されたかのように、車内にまで蔦や苔が繁茂していた。また、麓に居たはずが、いつのまにかそこは深い森の中である。
 かかる問題は、どうやってこの夜を生き延びるかであった。
 まず私たちは道路や民家を探すため、山中を彷徨った。方位磁石は勢いよく回転を繰り返していた。日時を示すものは意味をなさず、原子時時間において、あるいはグレゴリオ暦においてどれだけの時間が経っているかは、現在も知る術はない。
 喜ばしいことに、ほどなく車道を見つけることができた。「クマに注意」という看板は、私たちにも判読可能であった。
 私たちは異なる時空への転移に慄きながらも、言語と景観の大きな差異が認められないことから、この土地の歴史的・地理的環境は私たちの母国によく似たものと推測した。
 私たちは「クマに注意」した結果、狩人であるクマの助けを得て、〈列島〉全土が〈圏〉という地域別行政区画に割り振られていることを知る。
 この〈列島〉は私たちの母国とはまったく別の風土と地理を有し、私たちの常識からはるかに逸脱した性質をもつ。
 全47の〈圏〉では、絶え間なく電波障害が発生し、情報統制が布かれている。
 本稿を機密として扱う一方で、閲覧に際してクリアランスの提示を求めず全文を公開しているのは、実地における体験、伝聞や史料調査を重ねるにつれ、〈圏内〉の状況を、外部のより多くの人間に報せる必要性があると考えたためである。
 読者の安心のために付記すると、本稿はいかなる組織や学府・学会にも属さず、社会的にも学問的にも孤立している。全文公開によって他の研究を妨げたり生活や人命を害することはないだろう。

 執筆と調査にあたり、代え難い尽力を頂いた無鳴クモ氏に、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

 1.凪蛾野 神獣と風土/圏内領域性



 ここへ来て最初に見たのは
 鳥の影だった
 なにひとつ浮かんでいない空
 鳥の影が地面を
 影だけが滑って木立の闇に消えた
 看板には〈侵州近衛基地〉とある

 どこにも居てどこにも居ない
 感覚の束はわけても分子か?
 虎はどこにも居ない
 熊だって居るはずがない
 ここは生きることから遠のいて
 あらん限り遠のいた末に
 がらくたを寄せ集めて
 地場を失ったふるさとだ

 私たちは、自身の変容にも少なからず自覚をもつ必要があった。私たちはワードプロセッサを用いて記録をする。私たちは外部との通信手段を一切もたないが、それがなぜなのかを理解できない。

 記録:住人たちに会う。住人には私たちの手書きのメモや、ワードプロセッサの入力文字が読めないようであった。後述のすべての〈圏内〉地域において同様の事象が認められる。
 調査をした全地域の識字率はほぼ私たちの母国と同じく高い水準を保っていた。だが特筆すべきは、おそらく共通語が存在しないという点であろう。
 住民に私たちの書いた文字は読めない。にも関わらず言葉は通じるし、看板や電光掲示板などの表示は私たちも含め共通の理解が可能である。これはある種の認識の差異が関係しているように思われる。

 私たちは土地に棲息するクマに助けられたことを伝えた。モジクイクマは、対象に一度は親切にするが、次に出会したとき油断しているところを襲うそうだ。〈圏内〉の守神として畏怖をもって崇められている。
 我々の傍らを風のように駆け抜け、活発な少女が細い板張りを渡ってゆく。少女は水に触れたら形を失う。文字なのだと気付く。ならば近くに筆と墨もいるはずだとも思い至った。〈文字びと〉たちはいたるところに居た。筆や墨にあたる存在は確認されなかったが、彼らが私たちと意思疎通できるのは、彼ら自身が意味記号だからだと見当づけられる。
 〈文字びと〉たちが集合すれば、言語の総体と各々の意思が結びつき、よそものとのコミュニケーションがとれる。

 水溶性の不可逆体組織であるのに、少女はなぜ川に渡した細い板切れを走っていったのかと、〈文字びと〉たちは皆不思議がった。そもそも、危険きわまりない板を置いたのは誰で、なんのためなのか。私たちのことはすっかりと忘れ去られ、議論がなされる。〈文字びと〉たちの論争は語彙という語彙がふんだんに用いられ、修辞という修辞をかさねていた。
 私たちは水とインクが混ざった跡のついたアスファルトを観る。少女の姿を終えた文字列の一部が、〈圏境〉に向かって滲んでゆく。矢を象る指先は、先の道程を示すようにまっすぐのびていた。

 住民から、モジクイクマに出会した時に差し出せば見逃してもらえるという喉坐和菜を大量に譲ってもらった。
 のざわなと読み、モジクイクマの主食である〈文字〉と同様の刺激を満腹中枢へ送るらしい。〈文字びと〉の排泄物を肥料として栽培されたものだから効果的なのであろう。凪蛾野圏は喉坐和菜の一大産地であり、特に漬け物は我々の口にも合いよく食した。
 クマには出会わなかった。

 2.夜迷無 青色灯生活

 
 夜迷無の街のアリスは
 どんな扉も開けてゆく
 宿の天井では優曇華が
 おかえりと咲っている
 青色灯、繁栄の印のように
 どこもかしこも青く明るく
 これでは迷いようがない
 どの路地にもセンサーとレンズがある
 これでは迷うはずがない
 迷いたかったなら
 幽霊になるしかない
 彼らもしかし不自由だ
 生者よりも死者のほうが多く
 幽体は青さに透けて
 その密度は語られないのだから
 
 凪蛾野圏での生命線確保、そこからの移動のごたごたで、街について記録する機会を逸した。凪蛾野圏は多数の圏域に取り囲まれた内地だ。圏境にある夜迷無や沈岡とともにナ・ヤ・シと頭文字をとって括られるほどで、ならば夜迷無も地域的に凪蛾野と類似する点をもつはずである、と私たちは推測した。
 高度な技術力を擁するようだが、洗練された街という印象は受けない。あいまいな表現だが、現時点の私たちはそのように記すべきだろう。
 
 絶対に他人を道に迷わせない管理者の目が青く光る街。安全と言えなくもない。しかし、物事は多面的だ。悪事を働く者はより巧妙に針の穴のような抜け道をみつけるものだし、生活まで監視される社会は当然息が詰まる。
 夜迷無は一見クリーンで、上澄みの底に目を凝らすと深い闇が見える。
 
 記録:私たちの調査を明確な意思を持って妨害する者たちの存在を無視するわけにはいかない。ふたりの女性のうち、ひとりはここ夜迷無へ誘うようにその水溶性の身を投じた少女である。奇跡的に生命が助かったのか、それにしては不自然なほど健康そうで、負傷の跡などは見当たらない。身体が崩れる大怪我をした〈文字びと〉とは思えない。
 彼女らは、私たちを付かず離れずの距離でいつも観察している。
 彼女らについて記す。
 私たちは、彼女らに変身能力があることを突き止めた。
 調査をする上で地元の者に聞き込みをすることは必須だが、かならず嘘を教える者が居た。そうした者の足跡を尾行した際、彼女らのどちらか、もしくはふたりともが、老人にも子どもにも、ヒト以外にも姿や性質を変える様子を確認した。
 であるから、彼女らのひとりが〈文字びと〉に変身していたのも納得であるし、ふたりを“彼女ら”と呼ぶことも便宜的な記号にすぎないと判断した。
 
 いちおう、彼女らは我々を騙そうとするとき以外は、黒い髪を揃って長く伸ばした女性の形態をとることが多い。私たちが知ったことを、彼女らが認識しているかどうか、また彼女らの正体や目的についてはなにも分からない。私たちは彼女らといっさい口をきかないし、面と向かって会うこともない。
 
 以下、記録に戻る。 
 私たちはワードプロセッサに落書きのようなアウトプットの痕跡を発見する。私たちのうちどちらが書いたものでもない。内容は、〈圏内〉に関する地理的・歴史的調査の依頼だった。ひょっとして彼女らの仕業でないかという疑いもよぎったが、ふたりのことはいったん思考の埒外におき、相談した。
 日頃の職業的動作で当たり前のように土地の調査をしていた私たちは、依頼人の仔細については詮索しないことに決め、そのまま地誌の編修を続行する。
 
 私たちは、まずこの街のシンボルともいえる青色灯の構造や規格について調査した。すべて〈圏庁〉と呼ばれる公的機関の巨大な電力塔から供給されていることがすぐに分かった。電力はどのように発電されているのかを調べるため、私たちは塔へ向かった。
 
 塔はあまりにも小さかった。遠方から見るときと、間近で見るときの大きさがほとんど変わらない。
 私たちは、彼女らが小さな昆虫ほどの大きさに変わり、塔のなかへ入っていくのを見た。
 彼女らだけでなく、夜迷無のひとびともそうする。かれらに説明をしてもらい、青色灯の光源は、夜迷無に生息する特殊な発光生物を繁殖させて賄っていることがわかった。
 
 夜迷無の住人は決して道に迷わない。
 以下は、代々夜迷無に住んでいるという夢遊病の老人と、離人症のその娘が、我々に語ってくれた事柄である。
 〈圏庁〉は、住人の生活や所在を徹底的に管理している。そのために、夜迷無に生まれた者には、成長に従って身体が縮小し、肩甲骨から虫の翅のようなものが生えてくる施術がなされる。
 羽音を低く震わせて、大小の認識と発達の常識を逸して暮らす街の住人は、その次の日、忽然と姿を消していた。
 私たちは、自分自身の身の安全のため、すぐにも夜迷無を脱出する。私たちは一度も迷うことなく正確に居場所を把握されつつ、背中に冷や汗をかきながら小指の爪ほどの小さな門を出た。

 3.沈岡 空中楽都/地質調査


 4.美重 記憶の層序学


 5.哀千 無人街のドーナツ屋


 6.戯譜 交通砂漠/幽霊人口


 7.徒山 アンドロイド革命


 8.遺志川 ニュータウンと硝子建築


 9.伏井 亡命する化石/海岸調査


 10.刺雅 離島としての刺雅


 後書きにかえて


.

掲載日
前書き・第一章 2022/09/11
第二章 2022/09/28

メモ 『終景誌』に登場する予定の、反転世界に繋がる通路「離界通り」は、i市に実在するひみつの抜け道「裏界線」をモデルにしています。
歌や踊り、楽器についても描写したいです 2022/09/17

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?