
小説「レジ打ちの棚内昭子は世界の数字を支配している」
独身の棚内昭子はこの道のプロである。この道と言うのは、スーパーのレジ打ちであった。地元のスーパーで働き始めたのは二十歳の春。
気が付けば28年も働いていた。年齢も四十八歳と肌の折り返し地点に迫る。見た目は四十代前半に見られるが、年々足腰が弱くなってきてると、最近の昭子は口にしていた。
それでもレジ打ちに関しては年々速くなると言っていた。つまり昭子は歳を重ねるごとに、レジ打ちのスピードが上がっているという訳だ。
それでも日によって調子が悪い時もあると教えてくれた。尋ねると、湿気が多い日は指先の動きも鈍くなるそうだ。
そうなんだ
と僕に教えてくれたのは同期の恵美子である。恵美子は販売員で私は企画部だった。
スーパーの企画というのは主婦の意見を参考にすることが多かったので、パートのおばさん連中と仲良くしている恵美子に相談を持ちかけたのだ。
そこで名前が挙がったのは、棚内昭子というベテランパートだった。恵美子いわく、彼女ほどのスピードでレジ打ちをする人はいないだろうと。
まあ、そんなことを聞いたところで、さほど興味のある話しではなかった。それよりも今回の企画を考えなくてはいけない。
だから「そうなんだ」としか答えようがなかった。
「ところでさ、主婦の求める豊かな暮らしってなんだと思う。それをパートのおばちゃんたちに聞いて欲しいんだ。一様アンケート形式で作成したからさ」と恵美子に数枚のアンケートを手渡した。
「何?主婦の求める豊かな暮らしですって。それと今回の企画に関係あるの。そんなのアンケートに取らなくてもわかるじゃん」と恵美子は眉間にシワを寄せて少しキツく声にして言った。
私が棚内昭子について、食いつく気配がなかったから、きっと怒り口調になったんだろう。
同期の長い付き合いなので、機嫌が悪くなったことくらいわかる。大体、こいつは顔に出やすいからな。
だからと言って、私は恵美子の話しに乗ることはない。私は基本的に性格が悪いからだ。そこは自分でわかってるんだから、その辺の所は褒めて欲しい。
それに恵美子の話しが面白くない。私の心を動かすぐらいの話題を持ってこいと言いたい。
「あのさ、アンケートを取らなくてもわかるってどういうこと?俺は独身だし、主婦の求める豊かな暮らしってのがわかんないな。恵美子も独身なんだから、わからないだろう。だからこそのアンケートなんだよ」とその旨を伝えると、恵美子はアンケートを手にして溜息まじりに
「はあ、そんなの棚内さんと話したらわかるわよ。だって彼女はレジ打ちの速さが尋常じゃないんだから。あなたも見たら驚くわよ。きっとこう言うに決まってるわ」と言った瞬間、恵美子が白々しく口元を抑えた。
「おい!!なんだよ。俺が何を言うって、おい!!」
恵美子は私の質問に対して、その場からアンケート用紙を脇に抱えて逃げるように立ち去ろうとした。
まるでこれ以上は聞かないでくれと言わんばかりに。そんな恵美子に、私は慌てて追いかけた。
ドアを勢いよく開けて、会議室を出る恵美子へ大きな声を出した!!
「俺の負けだ!恵美子待ってくれ!!棚内昭子のレジ打ちを見たら、何て言ってしまうんだよ」
私の必死な声に、恵美子は半分開いたドアの前で立ち止まると、小さな声で呟いた。
「数字……数字……棚内昭子は世界の数字を支配して、豊かな暮らしを均等に保っているの」恵美子はそう言って、私の顔を見ないまま立ち去ってしまった。
棚内昭子のレジ打ちが世界の数字を支配しているのか?それとも棚内昭子が豊かな暮らしを保つ為に、レジ打ちの速さを極めようとしているのかはわからない。
だけど私自身、棚内昭子のレジ打ちに興味を持ったことは言うまでもなかった。
そして今日もまた、レジ打ちの棚内昭子は世界の数字を支配して、豊かな暮らしを均等に保っているのだろう。
~おわり~