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私が考える回復について

回復と聞くと蓄積した疲労を抜く事に焦点がいく事が多いかも知れません。

オーバーユース(使い過ぎ)は使い過ぎている事が問題だから休んで蓄積したダメージや傷や疲労を解消しましょう。

私は上記の事も加味しつつそれだけを回復の中に含めていません。

・不必要な疲れやすい運動を意図的に選択している

・疲れやすい運動の仕方をしている。
(局所的力発揮の度合いが強く全体的力発揮の度合いが低い状態)

・技術が低く、エネルギーロスが大きい。

・技術の内容が筋力等の内的なエネルギーに過剰に頼り外的なエネルギーに対する依存度が極端に低い状態及びそのような思考回路。

・身体の各部各機能の役割分担ができていない。

・肉体的強度が低く身体にかかる相対的負荷が強過ぎる。

・負荷の支え方が下手な事とそれに伴う悪影響。

・目的等に対して不必要な頑張りをしている(余計なトレーニングの過剰分がある)事による必要な能力や機能を十分に積み重ねられていない。

・フォームに対する粗悪な執着や意識による影響

・意図的に負荷を何かしらの方法を用いて落とし過ぎている。
→各種自然にかかる負荷を意図的に減らすデメリットも多々存在しますので安易に落とすべきではありません。
→これに関しては別の機会に話すかも知れません。

ざっと挙げるとこんな感じになりますが、これが全てではない。

そしてこららはそれぞれが独立しているものではなく、大なり小なり連携し合っている内容。

つまり、特定の内容のみを指してこれが回復の為の何かしらの方法ですと強調して誇張して表現される方は回復に対する考察と研究が足りない証拠だと私は感じます。

回復に関わる要因はより多岐にわたるものであり特定の何かのみを指すものではないというのが現状の私の結論です。

少なくとも運動に関わるものは様々な要因が複雑に絡み合いそれぞれの現象が起こっておりますので安易な発想で断定する事は絶対にお奨めできません。

各部位の動きや機能は他のあらゆる部位の動きや機能の影響を良くも悪くも多分に受けます。

今回の件で言えば蓄積疲労を取り除く事だけに目を向けるのではなく、疲労の蓄積のされ方にも真摯に向き合い必要があれば改善していく事が必要という私なりの提言です。

現代社会は情報をとる事がとても容易且つその量も膨大。

母数が増える程レベルのピンキリの幅が広大になる。

まだまだ全然凄くない私が見てもこれは明らかに違うと感じるものも少なくない。

情報化社会は本当の意味で人間の為になっているのだろうか?と感じます。

それぞれの分野において適切に取捨選択できる人にとっては良い側面も沢山あると思います。

つまり、結局のところ本当の事や変わらない事実をしっかりと勉強したり、実践を通して掴んだりした上で現代の膨大な情報に触れなければむしろ現在位置から後退してしまうなと私は捉えています。

情報が溢れている時代だからこそ拾う事以上に捨てる事や耳を塞ぐ事も他の事と同じように重要です。

膨大で簡単にアクセスできる情報はやっている人にとってはプラスに働きやっていない人にとってはマイナスに働く可能性があるという事を考えるとより極端な二極化がどんどん進行することは想像に優しい。

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