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【トレードオフを動物的又は本能的機能と人間的機能の観点から実際の運動の遂行と併せて現状の自分なりに精一杯捉えてみた】

人間と他の野生動物の決定的な違いの一つは知能であるのは容易に想像出来る。

それはつまり、固有の意識を張り巡らせたり何かをイメージしたり思考したり又はそれらを繋ぎ合わせたりする能力が圧倒していると言える。

翻って観た時に、我々人類が生身ではどう足掻いても、アフリカゾウに力では遥か遠く及ばない事やチーターが出せる加速力や最高速度と比較するのも失礼な程もの凄い鈍足である事は微塵も揺るがない。

そう言った各動物毎に機能分布があり、それらは相対的に観るとトレードオフの関係性を垣間見る事が出来る。

そして、①「人間的な機能」と②「動物的又は本能的な機能」は見事にこの関係性にあると常々感じている。

つまり、人間は先天として知能が非常に発達いるが故に原始的活動である運動をする際に高精度の運動をする上で①が多分に邪魔をする事が殆どである。

それは、充実している機能に何かと自然に頼ると言う絶対法則がある事が所以として存在する。

そして、何故そこの部分の機能が充実しているのかと問われれば、そこを多量又は強く又は速く又は長く使い込んできたからこその賜物である。

その視点で観ると人間は人間社会の発達と共に手先が非常に発達していて原始的活動である人間的な運動ではない原始的な運動をする際の要となる各所の発達度は相対的に低い。

つまり、他の動物と比較すると③「原始的な運動を②を駆使して遂行」する上での障壁が立ち塞がっていると言える。

それこそが、人間は③が殆どできないのにも関わらず他の動物では自然と皆が獲得していく最たる理由であるのは間違いないはず。

加えて、人間と言う身体を与えられた後天として、何をどの様にどれぐらい課してきたかによっても、大なり小なり差異及びトレードオフが生まれる。

要は、人間間における後天的個体差の側面も十分考慮するべき項目。

とは言え、①が発達しているからこそ己に与えられた身体全身の潜在能力を隅々まで開発し切る為の方法と在り方を編み出し研鑽していけるのが事実である。

つまり、実際の運動時や①を使う事が明確なマイナスとなる何かしらの活動において①を意図的に遮断する術を感覚的に高精度で体得する必要があると言える。

それの洗練度が高い程、実際の運動に対して有効に使える余力や注意力が拡大される。

つまり、こう言った側面も含めて全開の試合やトレーニング(鍛錬)前にそれをするに当たり十分なコンディション(疲労等の関与するあらゆるものに対する管理)に整えるコンディショニングが非常に重要となる。

しかし、単にコンディショニングと言っても、何もやる事を詰め込みすぎるのは百害あって一利なしなので、如何にして不要な事を徹底してやらない姿勢を貫き通すかと言う事も重要になる。

話を1つ前に戻しますが、実際の運動に対して有効に使える余力や注意力は何も脳神経系の詳細な学術を机にかじりついて膨大な量の勉強したら広がる訳でも、目先に転がっている付け焼き刃を拾いさえすれば獲得できる訳でも、考えない様に意識さえすれば達成される訳でもない。

そもそも考えない様に意識している時点で思考と意識及び脳内イメージを駆使しているので的外れ。

ただ1つ言える事があるとすると、余力と注意力の全てが実際の運動をする為の働きで埋め尽くされている状態であると言うのが核となる。

要はそれしかない状態になっていなければ②を駆使して実際の運動を遂行する事は不可能。

その為には食事の摂り方やそれに対する価値観や考え方も大きく影響する。

だから、他事を考えていたり、やりたく無いけど強制されてやっていたり、強い義務感で己を律して何とかその運動を行なっているレベルでは上記の状態で運動が遂行されている場合とは乖離している。

つまり、人間がそれをやる場合、前述した通り大きく厚い壁が何層も立ちはだかっているので、これさえやればその領域に踏み込める安易な方法は無いが、適切な且つ十分な積み重ねを継続していけば徐々にそこに近づいていく事はできる。

しかし、そこには毎度の様に明確な外観の変化は訪れないので、内観の微差と愚直に向き合う事がこの上なく重要となる。

だから、それに対して飽きる事なく微妙な変化を楽しみながら真摯に向き合い続ける事が出来るか否かが決定打になる。

しかし、上記の通り0か100かと言う変化では無いので、適切且つ十分な積み重ねをした分だけの成果は得られる。

とは言え、全てを緻密に教われば誰でも出来る様になる様な代物ではないので、そう言った教えも必要に応じて参考にしながら取り入れつつ、主体的且つ自主的且つ積極的に己と向き合い開拓していく事が必須となる。

だからこそ、外観だけでは無く、内観も少なくとも同等以上に重要であり且つその内観の微差を積み重ねの継続の重要性を常々感じている次第です。

徹底した地味っぷりがある事は否が応でも微塵も否定できませんけどね(笑)

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