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個人的に感じる事

ある動作を強化する為の方法として、その動作において補助的な力発揮をする身体の部位に対しての補強としてその部位を主導で動かさざるを得ない動作で強化する事は目的動作に対しての全身のバランスを損なうという意味で矛盾を感じる。

ついでにその動作において適切な連動性とその中での力発揮も損なわれるように思う。

全身を網羅して使える動作であれば極端に局所的な部位に頼った強化法も含めての戦略は私はお勧めできない。

それはあまり効率的でないので効果も限定的であるから。

全身的なのか局所的なのかはどんな動作に対してなのかと相対的且つ明瞭な仕切りがある訳ではないのですが、この実に分かりにくい事に対しての考慮の有無はどこまで高められるかという点において大事な要因の一つでしょう。

全身を使える動作ならしっかり全身で力を発揮してその動作を表現したら良いのではないのでしょうか。

更に全身で力発揮できる事は疲労や傷害予防という観点からも利点は多々あります。

そのような動作においてもそもそも全身が使えないから現状使える動力源を積極的に強化してとりあえずその他は置いてあると言うこともあると思います。

しかし、頭打ちが早いであろう策を選択するのならばその事を考慮した上で進めるべきです。

これは目指す場所もその選択を左右する要因の一つでしょう。

現状使える動力源となる力が足りないから補う、全身が使えないから補うというのは補強をするという意味では共通している事であります。

ただし、効果をしっかりと出す為には後者の場合その後に力を補う為のトレーニングを選択的に実施する事が欠かせないという意味でより手間がかかるのも事実です。

どちらを選択するにしても何かしらの力を養う事は程度の差はあれ必要と考えれば、やはり個人特性とタイミングを間違えると同じ事をしていても良い結果は望めないばかりか逆効果も招くと言えます。

やっている事そのものに問題があるのではなく揃えておくべきものを揃える努力を怠ったままやり続けている事に問題があると言えそうですね。

繰り返しになるかもしれませんが、だから目的とその度合いによってもどのような戦略を取るべきかは変化する事でしょう。

その他としてトレーニングに費やせる時間などコントロール出来ることの差によっても理想的な選択は多分に異なるでしょう。

それらを加味した上で結局どのような選択を取るかはそれぞれの自由でしょう。

目的とその度合いに対して何が良くて何が良くないかは上記を含めた複数要因を全て考慮した中でなされるべき判断であるので非常に複雑で簡単ではないと感じます。

パッケージされた全体を観ていない中での判断はなされるべきでないかなとも思います。

何故なら、全体の中の一部分を見ただけでは良し悪しの判断は出来るはずがないからです。

もちろん部分的に観て部分的に良くなる為だけならばそれでも良いかもしれませんが、全体として目的とするパフォーマンスが良くなっていないのならば価値はない様に私は感じます。

これらを考えると強化策を安易に構築も決定も判断も変更もされるべきではないと私は思います。

だからこそ受け取った部分的な情報は全て受け止めた上で取捨選択を必ずするべきです。

逆に全てを馬耳東風して耳を塞ぎ切る事は損であるとも思います。

トレーニング(動作)だけで考えてもこれだけの複数が複雑に絡み合っている事を考えると取り組むトレーニング一つ一つにどれぐらいの効果があるか図る事は不可能だと思います。

そこに甘んじることのないように一つ一つに徹底的に拘りたいです。

以上。

#個人的に感じる事

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