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【全体を厳密且つ総合して捉えていると言う前提ありきのパーソナライズの重要性】
何かしらの理由で生まれた大きなマイナスを何とかして補える大きなプラスがあったとしても、総合点で観るとそれだけでは0点だと言える。
要は片方だけを完璧に仕上げても最高は50点。
だからこそ、有効なプラスを徹底して積み重ねる事と不要なマイナスを極限まで省く事を両立させる事は必須である。
上記の所以も含めて、やはりやる事とやってはならない事又はやらない事は同程度重要視するべきであるのは如実。
だ
相対的且つ部分的トレードオフ
刃牙という漫画の世界観では、我々人間は四足歩行動物と比較して二足歩行に甘んじているという表現がされている。
この事は観方によってはその様に解釈できる事なので、一主張としては私も受け入れられる。
しかし、より全体を観て中立な立場から言うと、それによって得られる利と失う損が混在しているのが事実。
要は相対的且つ部分的トレードオフの理解が重要。
だから、双方のAと言う範囲の構造及び能力及び需要が
多様性の容認と何でもありを許容する事は別物
色んな人がいるとか、考え方の違いがあるだけと言う表現を都合よく多様性を許容するべきと言うニュアンスを含ませる事が時として的外れになる事もある。
そもそも、多様性を重視する事と何でもありはイコールではない。
高い成果を求められる環境であるのなら尚更の事。
それが確実に担保される中での違いは容認すべきですが、明らかに粗悪且つ幼稚な考え方等の何かしらを容認してはならない事は多々存在する。
だから
【支持と動きの関係性とそれを遂行する許容量及び他の要素及び要因との連携】
人間は重力の影響を露骨に受ける地上に対して脊柱と骨盤及び下肢を大部分垂直方向に向けている姿勢を起点とした上で殆どの運動及び移動が遂行されている。
それは海中生物や他の地上生物と比較した時に明確な差異となる点。
つまり、他の動物と比べてより支持しながら動く事が求められる動物。
それが意味する事は身体全体としての支持能力の重要度が極めて高いと言える。
しかし、各構造の仕事の許容量は有限であり、
私が考える回復について
回復と聞くと蓄積した疲労を抜く事に焦点がいく事が多いかも知れません。
オーバーユース(使い過ぎ)は使い過ぎている事が問題だから休んで蓄積したダメージや傷や疲労を解消しましょう。
私は上記の事も加味しつつそれだけを回復の中に含めていません。
・不必要な疲れやすい運動を意図的に選択している
・疲れやすい運動の仕方をしている。
(局所的力発揮の度合いが強く全体的力発揮の度合いが低い状態)
・技
5月で29歳になりました
年齢的な衰えは全く感じておりませんが振り返ってみるとそれなりの時間が流れていました。
写真は私の原点の1つである教科書であります。
最初は何もわからないのでとりあえず言われた通り書いてある通りにクソ真面目に繰り返していた記憶があります。
この頃はいわゆるツッコミどころも分からないので致し方ないと今振り返っております。
それが少しずつ積み重ねていくと教科書及び各種媒体からの情報や人の意見を聞く
いかに協調と強調をさせられるか
今回のタイトルは運動において鍵になると日々私が感じている点です。
あらゆる関連事項をまとめると、この2つをどれだけ高められるかという事にかかっていると私は考えています。
全身をフル動員する爆発性の高い運動であればある程に。
意見や考え方、理論云々の前に骨、関節、靭帯、腱、筋等の構造物である数や形、長さ、太さ、強度を鑑みればそれが揺るぎようの無い事実だと現状は捉えています。
この2つを高める
2021年最後のご挨拶
2021年も残り僅かとなりましたが、今年もありがとうございました。
今年は良縁に恵まれて新たなスポーツ現場に関わる事もできてとても有意義な時間を過ごす事ができました。
良縁を結んで下さった方々、本当にありがとうございました。
今後も少なくともご期待に応えられるように私なりに有効な方法を模索しながら積み重ね日々精進致します。
そこでも新たな気づきが得られましたし、今まで私が積み重ねてきた事が
運動とその強化とは?
そもそも運動とはもの(物体)が移動すること又は移動する力はあるが同じだけの外からの力を正反対に受けているが為に静止している事。
人の身体もボールもバットもラケットも鉄球も全てものである。
上に挙げた例の身体とそれ以外の特徴的な差は🅰内的な力発揮によってエネルギーを生み出せるかどうか🅱複数のパーツが繋がっていることにより関節が存在し稼動部分がある事にある。
運動の結果がより良くなる為のトレ
【運動について私が想う事】
写真は私がスプリントトレーニング(坂も含めて)をする時に使っているシューズですが、右が前任者で左が現役になります。
これを観た時に(いつも観てますが)分かる事や考察出来ることは多くあります。
動いている時に得られる実感としてもありますが複数の観点でもって動作が変化してると私は考えています。
しかし私自身はこの変化を意図的に起こそうとしていた訳ではありません。
勿論、日々様々な側面を持ったト