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「最も暮らしに寄り添った存在のパン」

「寧暮な食パン」です

僕ら、日本人にとって

「最も暮らしに寄り添った存在のパン」

といえば、やっぱり食パンなのかなぁと。

それを強く意識する様になったのは
意外と最近のことです

前店舗ハリマヤを閉店したのと同時に
それまで当たり前の様にあったパンを焼く設備がなくなりました

それまでは、売り物として焼いたパンから、自分たちが食べる分を取り分けていたわけですが

だからやむ無く、
自分たちの食べるパンを、
おうちのレンジのオーブンで
わざわざ焼かなければならなくなった
わけです

そこで、どんなパンが食べたい?って
家族に聞いたり

また、お店が無かった時期なので

パン屋の立場から提案していかなきゃ!
みたいな 

肩に力の入った意識は手放した状態で

今普通の人として
どんなパンが食べたいかなって
自分にもずっと聴き続けたんです

これがね、
商売目的ではないパンを焼く様になると、
意外とパンというものをフラットに
眺められるんですよね

暮らしの中でのパンの位置みたいなものも、
欧米の食文化と照らし合わせながら、

パンとはこうあるべき!!みたいな、
悪くいえば押し付けみたいな視点じゃなくて

僕らが、
ここ日本で、日本人として暮らしていく上で

ストンと収まるべきところに収まる様な、
パンの在り方を考える様になって

そういうパンを焼いていきたいなぁって、
思う様になりました

自分たち家族の手で、
コツコツと、薪窯を作り上げて

パンを焼いてはお届けする僕らの日常が、
無事戻ってきたわけですけど

3年前に、
100歳まで持続可能なパン屋を作るという
目標を立て

そこから段取りを始めて
閉店、移転、薪窯を造り、
その窯でパンを焼ける様になるまでの間

僕がモデルロールとして 
頭に描いていたのは、
明らかに欧米のパン文化でした

だけど、
それが、自分の中で
ちょっと変わってきているんですよね  

パンを焼く窯ではあるんですけど、
寧ろ、ご飯を炊くかまど、
に近い感覚であったり

薪を焚べる作業も、
昔話の決まり文句みたいな、
おじいさんは山へ柴かりに
おばあさんは川へ洗濯に
的なイメージであったり

そんなかつての日本の文化を
頭に浮かべながら
いまパンを焼いてます

かくかくしかじか。。

うまく言葉にできないけれど、
生涯、食パンを焼いていきたいなって
今、強く思ってます

電気オーブンで焼くと
スカッと美味しい生地や段取りでも、
薪窯にはちょっと合わないところがあって

だから
わざと膨らまない様に生地作りをしています

最初は
ちょっとリッチな配合だったんですけど

焼いては食べてを繰り返しながら
引き算を繰り返してきました

今朝、
トーストしてポンとバターを乗っけた一枚がしんみり美味しくて

思わず、これこれって、声が出ました

咀嚼してこその美味しさってあります

トーストの加減にこだわりたくなる様な、
そんな食パンです

もちろんそのままでも美味しいです

僕は怠け者なので、完成させません

それに
皆さんの好みを把握しきれるわけも
ないですしね

だから、美味しさの余地を残すんです

お迎えくださった皆さんが、
日々の暮らしの中であったり 
体調や気分で好みに仕上げてもらえたら

そんな思い、です
#食パン

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