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闇から光へ、光から闇へ

光のなかで闇を見つめている。
この一年を振り返り始めるとき、自分がいま置かれている状態について、まずそう考えた。

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自分が未だ光の中にある、というさも疑わしい言葉をそれでも綴ることができてしまうのは、それだけの出来事が自分を駆け巡ったから、というほかにない。途方もなく無条件的な愛(真に人が人を無条件に愛せるかどうかにはまだ確証がないから、このように書く)を授かるということが、生きることをこうもあざやかにするのだという驚きは、どんなに怠惰が日常を覆うときであっても、やはりどこかで持続し続けている。何よりも自分が”人間”であることを、まざまざと感じさせてくれる。
朝目覚めたとき、由来のよく分からない不安に衝かれることは今でもよくあるけど、地に足がついている感覚も同時に確かめられる。その大地は輪郭をもち凹凸をもち、この身体が常日頃接点を持ち続ける地平線に沿って、どこまでもどこまでも、もしかしたら彼方へさえも続いている。そのことへの、これまでにはなかった確信。
光の中にあるということについては、こんなふうに言葉にしたその先から、何かがこぼれていってしまう。

とはいえ幾度も様々な場所で表明しているように、闇から光へときた、ということは単にひとつの移行にすぎない。そこには優劣も進退も善悪もなく、そのどちらにもそこでしか見えないものがあり、それぞれの中でしか出来ないことがある。またふたたび闇へと移行するかもしれないという予感はずっとあるけど、それはただこわいばかりではない。
闇よりも光のほうがもっとこわいかもしれないということを、ここ数年は世界から教わり続けてきたように思う。

光へと至る道程のなかに、実在性の喪失から獲得へのしずかな上昇や、たしかな飛躍はあったのだと思う。人によってはそれを”救い”とも表したりもするし、”悟り”とも過つのかもしれない(過ちではない悟りもきっとあるのだと思うけど、自分はそこに正直あまり関心はない)。
いずれにせよ実在の大地のようなものを確かめやすい状態、そのなかでこそ見える景色、描ける絵、描いてしまう絵はなんだろうということを、この一年折にふれて問い続けてきた。そうして気がついたのは、より闇をまなざすだけの余裕が今ならある、ということだった。余裕、なんと傲慢な言葉なのだろうと思う。でもその人間的な響きが、長いこと覚束なく人間し続けてきた自分にとっては、ひとつの可能性であるようにも思う。

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言うまでもなく、現在この世界は大きく揺らいでいる。パレスチナの一隅で、こうしている今も魂がもぎ取られ続けている。ところによってはおそらくオリーブを摘むよりも簡単に、効率のよいやり方で(オリーブ畑はもう焼かれてしまった)。
ずっと世界はそうだったじゃないか、という声も頭のどこかで響くけれど、これまでにない新たな速度感と新たな規模感で間違いなく人道は踏みにじられていて、それが世界中に傷という傷をつくり、怒りと憎悪が膿となってあらわれ続けている、それもやはり前代未聞の速度と規模で。政治や経済によって殺意は金になり資本となり、異常と平常とが日々たくみにすり替えられて、人は数字に変換される。
この狂気には抗わねばならないと強く思う一方、その仕方に迷う人も、自分のように無数にいるだろう。急ぐ人は遅れる人を切実に嘆いている。様々なかたちで、断絶はどんどんひろがっていく。

他方、新しい連帯もひろがっている。しかしそれはむしろ、少し前の世界ではありふれていた連帯に近いものだったかもしれないと、先日観た水俣病のドキュメンタリー映画からふと回想する。争いがもっと多くの人々にとって身近な、切迫した世の中では、人々の関わり方はもっと素朴で単純だったのかもしれない。平和を平和に生きることのほうが、人間にとっては困難極まりないものなのかもしれない。
自分もどこかしらの立場にふらふらとつこうとしながら、あらゆる立場に対して何かしらの違和感を覚えることばかりで、それでもどの立場をも絶対的に否定することはできず、ためらうことを続けている。

明日には自分で自分を殺すものが、何人も殺める予定のものが、核の雨が降るのを夢想するものがいるこの星々のうちの、どのひとつに生まれ落ちたものかわからない。全部もしかしたら自分なのかもしれないと昔から思っていたけど、その想像を不可能にするほどの星々の隔たりを、まだ単に自分は味わっていないだけなのかもしれない。
ならば味わいに行けばいい、この世の地獄をとくと見に行けばいいとまでは、おそらく闇の中で光を見ていたようなときにはまだ思えなかった。それは余裕を持ってしまったからこそ強く発せられた声であり、その余裕が食らわれ尽くすところまで行ってみなければならないという衝迫に駆られるのも、この光の中でこそなのかもしれない。そこには戦慄だけでなく、希望もある。

もうひとりの自分たちに会いに行くこと。世界のあちこちを歩くならば、そんなことができたら、と思っていたし、今もどこかでは思っている。けれど決してそれは、人類みな兄弟などということを信じているからではなく、むしろ絶望的な隔たりをとおっていくことでしか、人間は決してわかりあうことができないのだという思いから出発していたはずだった。
もう十年くらい前、「人間は矛盾を愛することができる」という自分なりに至った結論を粉々にされてしまったことを思い出す。わかりあえないのはかなしい。どのくらいかなしいかといえば、そこに愛という言葉など、ほんの一握も見出すことのできないほどに。
言葉にした先から、何かが引き裂かれていく。忘れていたはずの傷が疼き出す。そういうものを、なかったことにせずに歩いていく。

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これらはすべて、まだ自分の心という舞台のなかで繰り広げられる、内なる人々によって演じられた寸劇(あるいはただの茶番)のようなものにすぎない。現実には手放したくない暮しが、人がいる。そのなかでまず自分が選ぶことは、報道を追いかけながら本を読み映画を読み、絵を描いて、少しずつ反戦運動に参加することだろう。
スタバにもマックにも行かなくなった。PUMAのジャージを着た人やケンタッキーのCMを見かけるたび、自分のまなざしがどこか重たくなっていることに気づく。

ロシアのアニメーターであるユーリー・ノルシュテインが、おそらくずっと大切にしてきたであろう言葉、”живем”(私たちは生きている)を忘れないようにと希う。かつて闇のなかで自らが光への入口として見出した「存在の祭りの中へ」という言葉も、大切な人がさまざまな逡巡の末に口にした「祝福」という言葉も、きっと遠からず列なっているものだろう。それは闇から光へ、そして光から闇へもむけて、アコーディオンのように拡大と収縮をくりかえしていく、地上の永遠を表象するものに他ならない。

光すなわち彼方なのではない。闇と光が溶け合うところにこそ、きっと彼方はあるのだと思う。

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