「キライ」になるには


最近どうですか、
人間関係や人付きあいにつかれていませんか

キライになることができていますか
ながいことキライという感情にふたをしてきたことに最近気づきました

わたしは人間関係にずっと悩んでました
いつごろからでしょう、自分の意見がうまくいえなかったり、自分の感情にきづけなかったり、
じぶんの発することばが、なんだかうすっぺらく
じぶんからでてきた言葉というより、誰かに言わされているような感覚

じぶんがなくなっていく感じ
あれ、じぶんってなんだっけ

長いこと暗いトンネルの中にいました
暗い井戸の中に、落ちてしまったよう
暗い森の中に迷い込んで でられるのだろうか
迷い込んでいることさえ気づいていなかった

人に嫌われるのがこわい感覚
じぶんの意見をいって きらわれるんじゃないかという思い込み
相手の感情を確かめることって聞いてみないとできない
相手との信頼関係がないと なかなか難しい

どうやってそんな信頼関係を築くことができるのか

そもそもそんなこと深く考えてこなかったぞ
やらないといけないこと、そう思わされていることで忙しい
忙しいとは「心」を「亡」くす
心を亡くしてしまって 自分の気持ちやわきおこる感情がどこかにいってしまっていた

今、目の前に集中する時間ってどれくらいありますか
息子やこどもと接している時間がそのトレニーングになっています
こどもはなんでもイヤイヤいうようになっている
イヤとかキライとか さらっと言う

こんなにいわれると気持ちがいいな
本当に思っていっていそうなときもあれば ただ自分に関心をひきたくて言っているようなときも 
自分の思い通りにならず 機嫌をそこねて 駄々こねている感じ
どんなところがキライだと思っているか、よくよく話をきくことも

こどもは言葉をまっすぐにはなつ
相手のことは おかまいなしだ
この感覚を大人は いつ忘れてしまったんだろうか

キライだといわれても 受け止めてあげること
自分の中のキライや感情にも目を向けること
いっしょに成長してるんじゃないかな
ありがとう

こどもからでもイヤやキライと言われはじめると、すこし心がざわついていた
だがあまりにも日常的に言われると、だんだん慣れていくる
キライ キライといわれつづけても平気になってくる
あぁ きらわれてもいいんだ
きらいって言われても 平気へーき

嫌われる勇気、勇気があってもいいかもしれないが
じょじょに慣れるという感覚もいいかもしれない
気づいたら嫌われることへの抵抗が薄れていることにきづくことも大切なことかもしれない

子育てのなかで いろんな言葉に出会います。
有名なものですが、最後にドロシー・ロー・ノルト「子どもが育つ魔法の言葉」を引用して締めたいと思います。この詩とこめられた願い・思いに触れることができてよかったなと感じます。

子は親の鏡
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレるこにはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、こどもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

ドロシー・ロー・ノルト「子どもが育つ魔法の言葉」


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