フューチャー・クラフトと二宮尊徳
『The City of Tomorrow』
奥出先生から与えていただいた課題図書、『The cigy of tomorrow』。メタバースなど新技術を用いた都市計画の書籍だが、1章をまとめるようにとの宿題が出された。
1章では、フューチャー・クラフト(未来都市をどう作るか)について語られている。
私が中学だった1990年。バブル絶頂の大手ゼネコンは、高さ1Kmを超えるビルを次々に構想した。早稲田大学の尾島俊雄研究室に至っては、高さ10Km「東京バベルタワー構想」を打ち出している。
都市構想はこうあって欲しいと思ってしまう。
「SFで描かれるような都市など、実現した試しはない」
もちろん東京バベルタワー構想も実現しなかった。
フューチャー・クラフトとは何か
フューチャー・クラフト(未来都市の創造)は、極めて新しい概念だ。
SFやコンサルタントは、まやかしの未来を描くだけに終始する。都市計画の失敗はそこから起こる。
従来の都市計画。失敗は二つある。
金持ちが低所得地域に移り住み、住民を追い出し繋がりのない冷たい街になる。専門用語で「ジェントリフィケーション」問題という。
絵空事に基づいた開発は、生活に根差していないインフラを作る。見栄えだけはいいが住みにくい都市が生まれる。
「想像や話し合いがなければ、僕らの仕事に意味はない。デザインとは、本質的に人が集まってなされるものだ」
本書では、デザイン思考による都市計画の話が展開される。
奥出直人先生の『デザイン思考の道具箱』に詳しいが、デザイン思考で言うデザインとは、通常考えるプロダクト・デザインと大きく異なる。
この言葉に現れているように、重要なものは「プロダクト(名詞)」ではない。
・手で触った感覚。
・体をどう動かすか。
・どんなコミュニケーションが生じるか。
「動き(動詞)」が主題なのだ。
とりわけ感情移入を求める点が、従来の客観的な科学とは大きく異なる。フッサールから始まる主観の科学、現象学の影響を受けている。
最初から完璧さを求める客観的・合理的な思考ともまったく違う。
感情移入をし、皆と会話を交わし、自分も他人もプロダクトも変わってゆく。トランスフォーメーション(変身)の中にしか真実はないとする立場だ。完璧より変身し続けることが重視される。
プラグマティズム
デザイン思考が寄る「プラグマティズム」という哲学がある。真実は結果や法則ではなく、センセーションとリレーションだとされる。
・センセーションとは、自分でも分からない不思議な感覚。啓示、やる気等であり、
・リレーションとは関係性を意味する。
勉強で例えるならば、点数でなく、「面白い」という感覚を重視すること。それがプラグマティズムだ。
「大学合格ため、過去問5年分を5回通りやる」
「英単語3500個を暗記」
合理主義の教育は、やる気(センセーション)がある人間にしか役に立たない。計画を立てても、合理主義では行動力が生まれない。
感情移入を伴わない知識に意味はないのだ。
どう他者と溶け合い、センセーションを得るか。
1. 未来は語らないが、絵空事は語る
ここから不思議な世界観が生まれる。
まず、未来を語らないが絵空事は語るのだ。正確な未来予測より、絵空事の方が大事だという。
「Chat GPTにより、ホワイトカラーの9割は失業する」
ではなく、
「海賊王に俺はなる」
と語る。
絵空事をぶち上げ、人と話をする。ビジョナリーとは違い、ビジョンを実現する必要はない。計画通り進めてはダメなのだ。関係性を中心に未来は変わり、作られてゆく。
提示、探求され、話し合いが持たれると、コンセプトはどうしてもインパクトを持ってくる。
「関心を持ってもらうことは、確かな事実を提示するよりも優れた基準として受け止められたい」
結果がどうなるかが重要なのではなく、「それ面白い」というセンセーションが重要なのだ。結果(未来)など誰も分からず、思い悩むべきものではない。
「最も重要なことは、フューチャー・クラフトはコンサルのように何かを押し付けて現在を治すとか、」
「こうなったらまずいですよね、と未来を予測するものではない」
「そうではなくて、今に『影響を与える』のだ」
二宮尊徳に「積小為大」という言葉がある。小さな行為が積み重なり、大きなものを生み出す。
15歳で両親も家財一切をも失った彼は、道に落ちていた稲穂や菜種を田畑に蒔き、23歳で家を復興させた。
従来の都市計画は、未来都市や格好よい建物を建てることを重視し、ジェントリフィケーションを起こしてきた。
積小為大は、その轍を踏まない。結論を急がず、今ここにいる誰かと会話を続ける。派手さはないが、自分にできることを確認し、その場で行う。
センセーションは幽けき声に宿っている。
2. 失敗の99%は自滅である
20年間無敗を誇った雀士、桜井章一は、
「失敗の99%は自滅である」
「勝とうとするな(完璧を目指すな)」
と言う。
未来は誰にも分からない。だが、自滅の前兆には気づくことができる。
著者の立ち上げたMITセンサブル・シティ・ラボ。プロジェクトは、センサーを使い自滅を防ぐ観察をする。しかも、ゲームのように面白がりながら、である。
手元にあるデバイスを使うことで、参加や会話を促していることが特徴だ。
極めて日常的な街づくりである。派手ではないが、大きな都市計画に隠れてしまいがちな「自滅の前兆」を洗い出す。
「デザインは病を治すものではなく、病を予防するものでなければならないだろう」
「我々の居場所は明日なのだ」。(著者注:SFのような100年後ではない)
気持ちを喚起し、市場が生まれる。
行動を共にし、コミュニティが生まれる。
知識経済は、共感経済となり、行動経済へと向かうのかもしれない。
蘇る東洋的叡智
「○○市もダメだよなぁ」
「商業施設建設のことばかり考えて、去年あれほどひどかった洪水対策をしないんだから」
地元のイベントでお会いした方が、そんなことを話してくれた。
我らはいつも派手な部分ばかりを見てしまう。晴れと褻の「晴れ」を。
「穢れ」とは、「褻が枯れる」ことを意味する。日常性の喪失である。
自滅を防ぎ、日常を楽園に変えるのだ。
二宮尊徳の歌に以下のようなものがある。
現代語に訳そう。
「小さい頃から、人が無視してきたものを拾い集めて、民に与えてきた」
尊徳は600の村々を復興させた。
最新の都市開発に彼の叡智が息づいている。
お読みいただきまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
とっても嬉しいです。
(注:文中の「トランスフォーメーション」は、同じくプラグマティズムを下敷きにした起業理論「エフェクチュエーション」のサラス・サラスバシーが重視した考え方で、"The City of Tomorrow"には出てきません。あくまで私流の理解となります)
(注2:「幽けき声」は、井坂康志先生からお聞きしたものです)
サポートありがとうございます!とっても嬉しいです(^▽^)/