正法眼蔵から読み解くエフェクチュエーション
南直哉『正法眼蔵 全 新講』を読んでいます。
南先生の解釈で納得できない部分を私訳し、起業理論エフェクチュエーションを考察いたします。
「四祖が言われた」
「あなたは何だ」
「これは疑問文ではない。かつて『何』という国があったが、その国の人間というわけでもない」
サラスバシーの述べる、起業家になるために最も大切なこと。
「私は誰だ」と同じ問いである。
「私は何だ」
南直哉は、この問いに「無常」と答える。
What am I?
肯定文にすれば、
I am 🔲.
「私は(空白)である」
私は無常であり、関係であり、縁。
南の考察は秀逸だ。
『プラグマティズム』でジェームスは、
「現実とは
・センセーション(自分でも分からない不思議な感覚)、と
・リレーション(関係性)」
だとした。
そして、「人とは空白の箱のようなもの」とも述べられる。
人は空白の箱。神がもたらす、空白に湧き立つセンセーションとリレーション。
正法眼蔵も、そう解釈できる。
本論に戻ろう。
「吾亦如是、汝亦如是」
「(現代語)我またこれのごとし、汝またこれのごとし」
六祖、大艦慧能禅師が、七祖、南獄懐譲の境地を認めた時の言葉だ。
空白であるがゆえ、私と他者は同じとなる。
生徒たちに学問が伝わったと感ずる時がある。論理的に話した時でなく、私自身が夢中になった時。チクセントミハイのフロー。空白の箱や構造になった時である。
友人と話す場合も同じだ。明日のことも気にせず、計画も目的も戦略も持たず夢中でいる。
空や無常であるがゆえ、他者と溶け合い、縁が生じる。
眼蔵は続ける。
「存在するものは、お前でない」
と。
あなたは、自分自身をどう説明するだろうか。
「私は先生」
「大学教授」
「ニート」
「⚪︎⚪︎の課長」
そうではない。
「私は哲学者」
「旅人」
「詩人」
違う。
道元はどう捉えたか。
「四祖は言う」
「私は空の箱である」
「茶道にも、今日の朝飯にも空の箱は見える」
「五祖は言う」
「これが仏性である」
「空の箱ゆえ仏」
「過去にも、世界にも見つかるものではない」
自身を空の箱とした時、縁が沸き立つ。
すなわち波羅蜜(彼岸に至る知恵)を言っている。
彼岸とは他者だ。
我らは安心するため金を稼ぐ。
世界一の金持ちとなっても、安心できはしないのに。
資本主義は根本から間違っていた。
縁を紡いだらどうか。
たった3人、本物の連れがいればいい。
「私は誰だ」
「誰を知っているのか」
「何を知っているのか」
私は存在しない。死を求める空白の箱と知っている。
縁をもたらさないものなど何の意味もない、すべてが間違いと知っている。
計画も目標も戦略も、否定すべきと知っている。
論理は支配し、構造は響く。
ゆえに友をつくる。
お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃
起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
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