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まったく予期できない明日のために、我々は今日、何をすべきだろうか? その2

(上のリンクの続きです)

サラスバシーは確実性と不確実性とを、3つのレベルに分けている。

一つ目は確実な場合。
二つ目は不確実な場合。不確実ではあるが統計的に処理できる不確実性。
三つ目も不確実な場合。統計的に処理できない不確実性。

三つ目の不確実性は、経済学で「ナイトの不確実性」と呼ばれる。起業家が直面するものもこちらが多い。例えば、フォーチュン500の約半分もの会社が、たった15年前には存在すらしていなかった。ゴールがまだ存在していない状態で、起業家はどう決断を下すのか。

我らは意味のあることを為そうとする。しかし、行って初めて意味が分かる場合もある。ナイトの不確実性の最中にいる起業家は、たいてい後者で意味を見出すものだ。ならばそんな全くの不確実性・不合理性に直面した時、我らにはいったい何をすることが残されているだろうか。

実は、ひとつとても単純なことが残されているのだ。

ドラッカーもまた、よく似た問いを投げかけていた。

「すべてを失ったとする」
「会社を退職し、友人にも会えなくなり、妻にも先立たれる」
「そんなときあなたには何ができるのだろうか」

彼はこう答えたという。

「それでも僕は友達をつくれるんだ」

完全な暗中模索の中で我らに残されているはことは、会話をすることだ。もし我らが会話も探索もしないとしたら、絶望以外は残らないだろう。

ちなみに、エフェクチュエーションの解説をネットで検索すると目にするのが、コーゼーションとエフェクチュエーションという概念である。

cause and effect、コーズ(原因)とエフェクト(結果)から取られたものであり、ここではコーゼーションを「因果論」と訳したい。原因が先にあり、結果が後にくる従来の科学のあり方である。

それに対しエフェクチュエーションとは縁起論を意味する。ここでは縁起論を、基本的に「人と人との縁を起こす」ことと定義する。会話を重視し、縁を起こすものがエフェクチュエーションであると。

ちなみにサラスバシーは二つの違いについて、こう述べている。以下は私訳であり、括弧内は書籍に基づいて私が付け足したものである。

【コーゼーションとエフェクチュエーションの違い】 ーーーーーーーーーー

コーゼーション(因果論)では「確実に得られる結果」を重視する(結果重視)。そして、結果を出すためにどのような手段をとるべきか考える。確実に成果を出す「法則」を作ることを志向している。従来の科学的なもの。

エフェクチュエーション(縁起論)では「その場にある実行可能な手段」「自分にできること」を重視する(過程重視)。そしてまた、得られた結果を解釈し次の行動を決める手段とする。循環的で、結果を見直し続ける。人とも市場とも知識とも対話をする。対話を可能にする「哲学」を作ることを志向する。ポスト資本主義的。

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他者に勝利する法則を作るものが因果論であり、他者と向き合う哲学を作るものが縁起論である。

サラスバシーは、「狩猟民族の人たちは結果を重視せざるを得なかった。だからコーゼーションのモデルが重視された」「しかし農耕民族では育成が重視される。だからエフェクチュエーションのモデルが重視されるのではないか」と語っている。

起業の専門家というものは一つや二つの倒産を経験しているものだし、全くの起業素人が大金を手にすることもある。

すなわち、結果を見てしまうと起業家精神の本質を見逃すことになるのだ。そしてこれは、起業家というものが成功や失敗という軸を超えた基準を持って生きていることをも示している。起業家は因果論のパラダイムで生きてはいないし、因果論のパラダイムでは起業家精神を捉えることも難しいのである。

起業家は、対話をするための哲学をどう自己形成してゆくのか。

サラスバシーの理論はそれを理解するための理論でもある。

以下見てゆきたいと思う。

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