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ユース時代を振り返る

サンフレユース時代を振り返る

今回はサンフレッチェ広島ユース時代のことを振り返ってみます。

サンフレユースに入団したことは僕の人生においてターニングポイントだったと感じています。
ユースではサッカーの技術だけでなく、プロになるためにはどういった心構えや考え方が必要なのかを学びました。
また親元を初めて離れて生活することによって両親の有り難さを実感するなど人間的成長もありました。

まず初めにユースのレベルの高さに衝撃を受けました。

練習初日に学年対抗戦を行いました。

新入生の僕たちは生意気なことに学年が1つ2つしか変わらへんしいけるやろって思ってました。
結果はボッコボコの完敗でした。
同期のみんなあの時に鼻を折られたと思います(笑)

ユースにはすごい先輩やトップチームが側で練習していたので、上には上がおるやなってことを身をもって感じたことが、僕に常に謙虚な気持ちを持つきっかけとなりました。

当時、3年生には岳人くん、2年生には駿くん、和也くん、尚輝くんとのちにトップ昇格する人たちがおり、その他もプロになってもおかしくない選手がいたのでボコされるのは当然でした。

その後毎日食らいつくために必死で練習をしたおかげで小さいながら成長を感じていました。

1年次はBチームでのプレーしがなかったもののコンスタントに試合に出場し、プリンスリーグ昇格を果たしました。
2年次には、ようやくAチームの試合にも出れるようになり、全国大会の決勝の舞台に立つなど着実にステップアップしていると感じていました。

ある程度うまくいっていた2年間だったが、
最後の1年はなにもうまくいかなかった。

迎えた3年目、僕のユース時代を語る上では欠かせません。
キャプテンにも就任しトップ昇格と日本一奪還を目標に気合は十分でした。

しかし、待ち受けていた現実は悲惨でした。 

僕らの代は「サンフレユース史上最弱世代」でした。

トップ昇格や日本一はおろか、ほとんどの試合に勝てなかった。
クラブユースもクラブ史上初めて出場できたなかったです。

その時チームはもう崩壊寸前でした。

キャプテンだった僕は、チームをまとめ引っ張らなくてはいけない存在だったが、チームを立て直す力は持っていませんでした。

結局夏以降もチームはまとまりきれず、プレミアリーグも中位、Jユースも予選敗退という結果に終わり、クラブが今まで培ってきたものを全て壊し、卒団しました。

個人としてもチームとしても結果を残せず失意の1年間となりました。

あまりにも情けない成績だったので、当時トップチームにいるユースOBとすれ違うのも嫌でした。

あの時のことを思い出すと今でも悔しくて情けなくて涙が出そうになります。
もっとサッカーを頑張ればよかった。
もっとチームをまとめるためになにかするべきだった。
などあげればキリがないくらい後悔があります。

しかし、あの悔しい1年間があったからこそ、
悔しい気持ちを持ったまま卒団したからこそ、
次のステージ、大学時で奮起することが出来き、今にまで繋がっていると思います。

当時は「忘れたい、消し去りたい過去」でしたが、
今ではだいぶ捉え方が変わりました。
「あの1年間が今の僕を作っている」とまで思えるようになりました。

ユースでの3年間は、プロにもなれず思い描いていたものとはかけ離れた結果になったが、サッカー選手となるために必要な基盤がしっかり作られました。

というのが、僕のユースのざっくりした3年間でした。
ほんとに、楽しいエピソードや悲しいエピソードはたくさんあるんですが、今回書くのは控えておきます。

次回はこの流れで大学時代について振り返り、
ユースでの経験がどう活きたのかを書きたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。

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