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大学時代を振り返る

他人から見れば僕の大学時代は、ずっと試合にも出場し、選抜にも選ばれ、キャプテンでプロになることもできて順風満帆だったのでは?と思うかもしれないです。

でも僕自身はそうは思っていなくて、大学では大学サッカーでしか直面しない苦悩や壁がありました。

「サッカーに対する考えや熱量の違い」

この問題にはとても苦しみました。

高校時代とはまた違った壁で、
高校時代は全員がプロを目指すのが当たり前だったが、大学では全員がプロを目指すのは当たり前ではなかった。

実際に僕がいた関西大学では、サッカー部の部員数は約250名、それに対して本気でプロを目指す人は1割程度でした。

環境や考え方の違いは、プロを目指して大学に入学するとほとんどの学生は当然のようにぶつかります。

自分の目標はプロなる、サンフレに戻るに対して

チームの目標は全員サッカーで日本一

大学はプロ養成所ではないので、プロを目指していない選手を否定することはできず、熱量や考え方の違いを受け止めなざるを得なかったです。

僕はもともと誘惑に弱く周りに流されてしまうタイプの人間だったので、
正直熱量が低い選手と一緒の環境にいることは嫌だったし、苦痛に感じることもありました。

そんな難しい環境の中で、目標に向かって取り組み続けられたのは、2学年上の前川黛也(神戸)くんが居たからだと思っています。

ダイヤくんは、僕が入学した時にはチームで絶対的な存在にも関わらず、誰よりも謙虚で向上心を持っていて努力家でした。
常に最後までグランドにいて、そこからジムに行き、夕方にはケアをしている。
そんな姿を見てもっと頑張らないとあかんっていつも思ってました。
またダイヤくんも高校卒業後にプロになれるレベルでなかったのに、大学では努力すればJ1のチームに行けると証明してくれたことは、さらに僕の励みになりました。

ダイヤくんが卒業した後の2年間も、プロのトップで戦うためには何が必要なのかダイヤくんをみて学んでいました。

指標となる人がいたことはとても幸運だした。

と結構ええ話を綴ってきましたが、こんな綺麗な話だけでは終われません。(笑)

ここからは少しリアルな話を書きます。

先程、熱量などの違いを受け止めざるを得なかったと書きましたが、実際すぐに受け止められたのではなく、3年かかりました。

1〜3回生までは完全にプロを目指してない選手を否定してました。
多くの選手とは仲良くする気は一切なく、チームの結果より個人の結果にフォーカスし、自分のためだけにプレーしていました。
他のカテゴリーの応援にもほとんど行くことがなかったです。
チームのことを考えることなんてほとんどなかったです。

ほんとに最低な考え方を持っていたので、
僕にとって大学は「将来のために利用するための場所」と捉えていました。(笑)

これが良いことではないとは分かってはいました。けどこうでもしないとプロになれないと思ってました。
才能や実力のなかった僕が、這い上がるためにはサッカー以外(友達や遊び、お酒など)を切り捨てる覚悟が必要だと思ってました。
そしてなんとしても目標を達成したかったんです。

なので3回生まではチームも仲間も嫌いで、早くプロの内定を獲得して早く早く卒業したいと思ってました。

そんな僕が周りを認められるようになり、主将となった経緯などを書こうと思ってたんですが、長くなったのでやめます。(笑)
需要があれば次書きますが。

1〜3回生までで学んだこと
大きな組織に入れば意識の高い人、低い人がおり、多くの人は低いほうに流されてします。そうならないためには、明確な目標を持つことや近くに支えとなる人を見つけることです。
たとえ自分が組織の中で少人数側になってちょっと変人扱いされても、目標をぶらさずに自分を信じて頑張って欲しいです。 

また自分と違う意見の人を最初から否定するのではなく、受け止める勇気や強さも大事だと思います。

今回はこれで終わります。

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