何者になりたいのだ?と聞かれた時

久しぶりにただのエッセイです。
いい酒に酔ったただの吐露。

何者になりたいのか。
2年後3年後、いや、5年後10年後。
その先に何者になりたいのか、何を得たいのか。

目標であり目的でありロードマップ。

たまに聞かれる。聞いてもらえる。
「どうなりたいんですか?」って。

僕の答えはきまって
「いやぁ、考えてないッス」。

シンプルに、中身が無いセリフである。

いやぁ、雑だね。全く。

でもまぁ、一応、本心からそう思っている。

僕は、やりたいことを概ね、この人生ではやった。と思っている。

いや、厳密にはまだある。
長生きして子どもたちの結婚式(あるなら)に参列したいし、可能ならば孫の顔も見てみたい。
だからそれまでは生きたいし生き延びたい。

あとなるべく旅行とかに連れて行ってあげたいし、色んな経験もさせてあげたい。

いきてる間に親孝行もしたいし、もっと友人たちにも恩を返したいと思う。

まぁでも、そんなもんである。

それらは、「自分がどうなりたいか?」ではなく、「他者にどうしたいか?」に過ぎない。

だから、僕が僕にしたいこと、というのは概ねこの人生ではやりきった。と、少なくとも今は思っている。

まぁ、強いて言えば呪術廻戦とワンピースの完結はみたいかな。あとハンターハンターと。くらいなもんだ。

それらも自分の成すことではなくて、他者に(作者に)成してもらうことだ。

自分が、自分のために成したいことというのは、概ねやり尽くした。

あ、いや。やり尽くしたというのも適切ではないか。
いま、まさに、やってる。

成したいこと、やりたいことは、今まさに、自分がやっている。

麹を醸し、子らや嫁との時間を大切に噛み締め、商品をつくり、売って、誰かに喜んでもらってお金を得る。

これは、これが、僕が人生で成したいことなのだ。
だから、僕が「何者になりたいのだ?」と聞かれた時、より正確で厳密には
「いま、このままで未来まで。」がより正しいといえよう。

だから、どうなりたいとか、なにを成したいとか、取り立てては、ない。
いま、ここにある今の僕は、かつての自分の望む姿なんだろう。

僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で
誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で
誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている
僕もきっと 誰かにとっての夢を叶えている

(中略)

僕はきっと今いつかの夢の上に立っているんだね
僕はきっと今誰かの夢の上に立っている

RADWIMPS 「夢番地」より


RADWIMPSは、夢番地という曲の中でこんな歌詞を書いたけど、 
僕はきっといま、かつての僕の夢のその先に立っている。
この居場所に、何一つとして、不満がないのだ。

強いて、決定的な問題を言えば、稼ぎが十分で無いないくらいなものだろうか。
いや、それは間違いなく決定的にして致命的だが。 
しかしながら、それを除けば、不満がないのだ。

そう言えば言うほどに心の中のもう一人の偏屈な自分が
「本当にそうなのか?ただの強がりじゃないのか?」と言葉を投げかけてくるけれど、
うーん。それはちょっとわからない。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは、僕には正しく認知できない。バイアスが入るから、それを正しく知ることは難しい。だから何とも言えない。

ただ、そんな偏屈な自分に嫌味を返すとすれば、

「そうそう。小学5年生の頃、僕は言っていたよね。"この世で一番分からないものは、女心と自分の本心だ"って。」

という、ところだろうか。

ん、あ、いやいや。
何者になりたいか、ひとつ、思い当たった。

そうだな、僕は

「もっと、上手に、麹を醸せる人になりたい。」




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