生き甲斐
"新型コロナウイルス"。このウイルスにより世界各地で当たり前の生活が奪われた。
当たり前なことがなくなる辛さ、しんどさ、今回身に染みて感じた。また、3ヶ月もすれば当たり前だったことが当たり前でなくなったことが普通になるということも学んだ。
今の私にとっての生き甲斐は、友人や家族などとご飯を食べたり、買い物に行ったり、一つのことに対して仲間と熱中することである。
しかし、今回の新型コロナウイルスの影響により、その生き甲斐が奪われた。
奪われたからこそわかることがある。人間は失ってから気づくことが多い生き物だ。
その生き甲斐が奪われた時、私が感じたこと、それは、日々の一瞬一瞬をしっかり自分の心に刻むべきだということだ。今noteを書いているこの時間も、もう訪れない。時間は返ってこない。
そう考えると、部活で活動している時間や、友人とご飯に行っている時間、帰省した時に過ごす家族との時間、何気なく進んでいる日々は私の生き甲斐を作ってくれているわけで、生活している日々に感謝しなけばならないと思う。
感謝しなければならないと思うが、感謝し続けることは難しく、なかなか実行できない。
本当に日々の日常に感謝し続けている人はいるのだろうか。
私はいると思うが、会ったことはない。
日々感謝すること、すべての瞬間を心に刻むこと、何気ない日常が当たり前ではないということ、人生においてとても重要なことだと私は考える。
今回の新型コロナウイルスの影響を受けた世の中を見て、少し成長できた自分がいるのではないかと感じる。多くの若者が色々な考えをもつきっかけとなり、成長した期間だと思う。
7月に入り、当たり前じゃなくなってしまったことが当たり前に戻り始めている。
ここが大きな分かれ道だ。当たり前に戻りきったとき、その当たり前を当たり前じゃないと思えるか、これが重要である。
私は当たり前じゃないと思い続けるられる側でありたい。
話は変わるが、私の所属している体育会サッカー部が7月から活動を再開した。活動再開に至るまで、多くの人が動いてくれた。つまり、私にとっての生き甲斐を取り戻してくれた人たちだ。体育会サッカー部の幹部、監督、OB、大学、関わってくれた多くの人に感謝しなければならない。
日常を取り戻すために、誰かの生き甲斐のために動いてくれてる人がいること、これも当たり前ではない。そんな人が所属する集団にいる私は幸せ者だ。
これからは周りにそう思わせられる人になりたいと思う。誰かの生き甲斐のために動ける人、そんなクールな人間で人生を終えたい。
今後の私を創るのは私自身だ。
立派な大人になるための道を自分なりに考え、駆け上がって行く。
以上。