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西洋美術雑感 25:コズメ・ツーラ「ピエタ」

コズメ・ツーラはルネサンス初期の画家の中でもとりわけ奇妙な絵を残した画家である。前回、ミケランジェロの彫刻のピエタを取り上げたが、このツーラの絵も同じくピエタであるが、この感触の違いは、もう果てしない距離があると言えないだろうか。ちなみに、このツーラの作はミケランジェロのピエタのおよそ40年前、ルネサンス盛期と呼ばれる時期の始まり、そしてルネサンス前期の終わりに位置している。
 
このツーラの絵を見てみよう。まず、十字架から下ろされた死せるキリストは、まるで発育不全のように小さく、しかし頭だけは大きく、その顔はまるで老人のようで、肉付けは誇張されていて、やけに節くれだっていて、全体に歪んでいて、ひとことで言って醜い体躯と言っていいのではないか。棺の縁に腰掛け、死せる我が子を抱くマリアはやはり、手は節くれだち、顔は美しくはあるがツーラ独特の顔で、まるで中年のメイドのようなルックスに見える。彼の絵の人物描写は、これだけがこのように特殊なのではなく、すべての絵でこんな感じなのである。
 
ところで、この幼い子供のような比率に描かれた死せるキリストがマリアに抱かれた図は、図像的に、北方ドイツの中世末期における主題を反映しているとも言われている。キリストは死んで、ふたたびマリアの腕の中で赤ん坊に返り、母の腕の中に抱かれる、という考えがあるそうなのである。ツーラのこの描写は、だから彼の単なる思い付きではなく、北方美術の影響があると言えるわけだ。しかし、それをこのようにイタリアルネサンス美術の技術のもとに再構成する、というのは彼ならではで、実に奇妙に見える。
 
遠景には、キリストが十字架にかけられたゴルゴタの丘が見える。螺旋型のやはり奇妙な形の、ピンク色に塗られたこの塊は、そのてっぺんにキリストが掛けられた十字架があり、二人の罪人はまだ十字架に掛ったままである。へんなことを言うかもしれないが、自分には、この代物がえらく性的なものに見えるのだが、それはいったいなぜだろう。マリアの頭には黄金の光輪が載っているが、その向こうに、不自然なほど長くて高い十字架が3本天に向かって突き出ている。その全体が、自分にはとても淫靡に見えるとだけ言っておこう。
 
マリアとキリストのすぐ左にはやはり背の高い木があり、生っている果物はおそらく悪徳を示す林檎だろう。そしてその木の上には、絵具が剥げたかあるいは上塗りされて分かりにくいが、どうやらこれは猿を描いたものらしい。猿は欲望と貪欲の劣った人間を表すのに使われるそうだが、その猿がマリアより上に位置して登場するというのは、どういうことだろう。もちろん、人心の悪徳がこのイエスの処刑という悲劇を招いたのであり、それへの戒めである、というレトリックも可能だが、絵の全体から感じられる印象から言って、そういう解釈は難しいように自分には見える。
 
何が描かれているか詮索する趣味のない自分だが、いろいろ考えてしまう。この絵から受ける感覚が、やはりキリスト教の聖なる物語からだいぶ離れてしまい、どうしても一種の悪徳を感じさせるのである。そして。この奇妙な画家コズメ・ツーラの他の絵も、やはり病的で、奇形的で、しかしイタリアルネサンスの色彩と空間描写の明快さも持っていて、自分には特別に気に入っている画家なのである。

Cosmè Tura, "Pietà", 1460, Oil on panel, Museo Correr, Venice, Italy


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