生後1ヶ月3日 夫婦とは、アライバである
無事に息子が生後1ヶ月を迎えることができた。ありがたい。10日に生後1ヶ月健診に行ってきた。4月27日に助産師外来をして以来、息子は2回目の外出だ。今回はクーファンと呼ばれる乳幼児が横になれる大きさのバッグに入れ出かけた。抱っこ紐のように複雑な手筈がいらないのが魅力だ。息子は抱っこ紐も拒否しなかったが、クーファンでも快適そうに寝ていた。良い意味で鈍感のようでありがたい。
そして、これまでは「野崎登司枝ベビー」という肩書きであったが、ついに息子の名前の診察券が発行された。夫の会社から息子名義の保険証、千葉市からも予防接種券が届いており、私の腹の中ではなく現実の日本国に息子が存在している実感が湧いてきた。
今回も夫に同伴してもらった。病院まで公共交通機関でなく車で行けるのはありがたい。また、身体測定の際や診察の際、乳幼児は全裸にならなければいけないが、服を脱がせたり着せたりするのは、母親ではなく同伴者の役目らしい。その間に乳幼児の普段の様子や懸念事項を医師がヒアリングする。合理的だ。ここで、ハプニングが、、体重測定の際、全裸になった息子が放尿。
助「あらあら〜でちゃったわね〜」
私「すみません!一瞬の隙に!」
助「男の子はね〜開放感で"しちゃう"んですよね〜」
相変わらず、どの助産師さんも優しい。日本中が助産師さんみたくなってくれたら嬉しい。なぜか夫は
夫「(開放感で放尿)わかるなぁ〜」
放尿の件を実父に電話で話したら、なぜか嬉しそう
父「そうか!出したか!はははは」
マーキング精神なんだろうか、意味がわからない。男性にとって放尿は重要な儀式なのだろうか。
放尿の一件以外、健診も問題なく外出も入浴も許可が出て一安心する。健診が終わったタイミングで息子がグズり始めたので、夫と息子には車に戻ってもらい、会計へ。大病院のため、会計待ちがディスプレイで示される。20人待ちのようで、すぐには帰れなそうである。そこで、持参した粉ミルクをサーモスの水筒に入ったお湯で割り、夫と息子の待つ車へ届けた。案の定、息子はお腹が空いてグズっていた。泣いている口にスポッと哺乳瓶を差し込み、院内へ戻った。会計が済み車へ行くと、ちょうどミルクを飲み終えた所であった。絶妙なタイミングである。
このように夫との連携プレイで息子の1ヶ月健診を終えた。夫婦のどっちが何をやるなど、明確に決めていないが、暗黙のうちに役割が決まった。例えていうなら、二遊間の荒木と井端である。アライバである。この記事のタイトルは「家族とはチームである」とする予定であったが、あまりにも中日ドラゴンズがチームとして崩壊しているので、例えとして不適切であると判断し「夫婦とはアライバである」とした。夫婦は、よくピッチャーとキャッチャーに例えられる。キャッチャーはホームを守るところから、ピッチャーの女房と例えられるが、ピッチャーは7日のうち1日しか登板せず、キャッチャーは毎日違うピッチャーの球を受けるため、「夫婦」例えるのは違うナと気づいた。だから、夫婦とは、アライバなのだ。