武雄図書館騒動について思った事。

色々と(主にネット上で)話題の武雄図書館の話でありますが、僕ぁ図書館改革自体は「別にいいんでねえの?」ぐらいに思ってて、特に「咳払い一つ立ててはいけない重苦しい雰囲気」であるとか、便利なようで実はあまり便利でない書架の十進分類法であるとか、データベース技術の進歩によってドラスティックに変更しても実害なんてなかろーもん。これらの「決まり事」をただ金科玉条とするのは、どうなの?という感じで、どちらかというと「改革反対派」の抗議の声の方に違和感を感じておったわけです。

や、調べもんとかで多分フツーの人よりは公共・私設図書館を利用する機会が多いので、現状がベストでもベターでもないでしょ、的な。

あれを支持するか、というとそれは別問題なんだけど。

でまあ、それとは別に個人的な興味として、戦後日本のポップカルチャー(ライフスタイル)の歴史を紐解く、というのがあります。

具体的にはアーケードゲームやアニメーション、ロックミュージックといったものですね。で、当然これらは舶来文化であるので、言い換えれば「日本におけるアメリカ文化の受容史」でもあるわけです。

しかし、そう考えてみると、今ある「日本の文化・ライフスタイル」というものは、ほとんどが「アメリカ由来」なんですね。郊外のショッピングモール、そこに入っているスターバックスコーヒー、シネマコンプレックス、そして、ゲームセンター。

フランチャイズのスーパーやコンビニで買い物する、といった当たり前の日常も、実の所「アメリカの模倣」の賜物であります。「地域密着型のスーパー」も、創業者がペガサスクラブの会員だった、なんてことは良くある話です。(そうでないものを探すのが難しいぐらいには)

家庭内でもテレビ・洗濯機・冷蔵庫といった三種の神器から、現在流行しているロボット掃除機、スマートフォンまで。日本人の生活はありとあらゆる所まで「アメリカナイズド」されていて、もはやそれとは気づいていないぐらい。

日本独自の大衆文化、と胸を張って言える物は、実はパチンコとカラオケぐらいなのではないでしょうか。

もちろん、歌舞伎や落語などの伝統芸能はあるにしても「大衆文化」なのかというとちょっと首をかしげるところです。

で、話は武雄図書館に戻ります。Facebook市長などともてはやされた時期もありましたが、前武雄市長はFacebookでどこを見ていたのか、というと「東京」であったのではないでしょうか。

東京のように、スターバックスがあり、ツタヤのある図書館。しかしそれは、所詮「舶来のコピー」に過ぎません。

武雄市という地方に向けてアレンジメントするならば、オリジナルまで遡って、それを手本にすべきだった、と思います。

とっかえひっかえ話題を変えますが「日本の文化・ライフスタイル」を紐解いてみると、実は驚くほど「東京」の影響力が低いことがわかります。東京由来のブームというのは、実際には海外のムーブメントが「東京を経由して」いただけで、東京がオリジンではないわけです。

国内発祥のブーム、例えば飲食業界のムーブメントをざっと追ってみても「はなまるうどん(香川)」「コメダ珈琲(名古屋)」「サイゼリヤ(千葉)」みたいな感じですし。僕の地元、九州発祥から東京や全国、あるいは海外にまで出ていったチェーンは数多とあります。が、東京発祥のチェーンとなると、これが驚くほど少ない。

これは現在のネット・IT分野においても同じですね。確かに日本のネット利用者、ブロガーは東京在住者が多い。けれどもそれは「東京から始まった」ものではない。震源地は常に海外にあり、東京はそれを模倣しているのみです。現在話題のUberやAirbnbも、そう。

ネットを通じて海外からの情報が、成田を経由せずともダイレクトに入ってくる時代に、地方が「東京」を目指しても、得る物は何もない。

なぜならばそこには「コピー」があるというだけで、オリジナルではないから。

武雄図書館の騒動が教訓として遺してくれたのは、そういうことだったのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?