コンピュータ・ゲームと貧困の連鎖。

 子供に人気のあるコンテンツ、コンピュータ・ゲームやマンガ、アニメを、幼い児童にいつどのように与えるか、という問題は世の中多くの保護者にとって重要な関心事であると思う。

 ネットで声の大きいこれらの愛好家、つまるところ「オタク」と呼ばれる人達に言わせれば、「子供が望むものに触れさせない親は非道だ」などと短絡的な思考に陥りがちだが、実情はそれほど単純ではない。

 児童虐待やネグレクトの現場に少しでも触れたことのある人間であれば、そういった被害児童は「マンガ、アニメ、ゲーム」といった、オタクが好むコンテンツを「過剰に」与えられていることが少なくないと知っている。

 なぜか。話は簡単だ。幼い児童に言うことを聞かせるには、ムチよりもアメを与えたほうが効果的だからだ。未成年者略取の犯人が、アニメやマンガを軟禁した被害児童に与えるのと理屈は同じである。

 ネグレクト、育児放棄は、「被害児童の死」という悲劇的な結末に至らなければニュースになることは殆ど無い。そのため「0か100か」のデジタルな事象のように錯覚してしまいがちだが、実際には、他の多くの事象のように、それに至るまでは複雑なグラデーションが描かれている。

 本来、児童の年齢に応じて「受けなければならない」教育や躾がされていないことも、ネグレクトには含まれる。電車内で騒ぐのを注意したり、持ち帰った宿題の進捗を確認する、といった、親に課せられた義務を放棄するためにも「アメ」は用いられる。

 特に問題なのはコンピュータ・ゲームで、なぜかといえば、これを与えると大方の児童は「夢中になって」しまうからだ。家の中を走り回ったり、相手をしろとせがんだり、時に空腹を訴えるといった「わずわらしさ」から、保護者を開放してくれる魔法のアイテム、それが、コンピュータ・ゲームなのである。

 コンピュータ・ゲームとわざわざまわりくどい表記をしているのは、児童に対して「与えられる」ゲームが、ゲーム専用機のそれとは限らなくなっているからだ。携帯電話で遊べるソーシャルゲームや、スマートフォンのアプリもこれらには含まれる。

 与える側にとって、コンピュータ・ゲームは実に都合の良い「アメ」だ。大した金もかからず、それによって家を汚されることもない。そればかりか、国内最大手のファースト・フード店に行けば「ゲームアイテム」が無料で貰えることすらある。

 オタクたちの多くは「コンピュータ・ゲームは高級な遊びであり、それを好むのはエリートである」という歪んだ選民意識を持っているが、それは正しくはない。実際のところ、コンピュータ・ゲームは「チープな」遊びであって、それに適応するライフスタイルを持つのはどちらかといえば中流か、それより下の貧困層である(前述した「ゲームアイテムが無料で貰える場所」がどこであるか思い出して欲しい)。バブル崩壊後の一時期、経済誌などでゲームセンターがもてはやされた時期があるが、そのキーワードは「安、近、短」であった。観光旅行に出かけたり、帰省したりといった従来の「レジャー」よりも、安くて、近く、短期間で済む庶民の娯楽という位置づけであった。

 それは今でも変わらない。むしろ、長年の不景気で「よりチープな」ものになりつつあるといえる。これは、技術の進歩により据え置きでテレビに繋がなければ遊べなかったものが、片手で持ち運べるサイズにまで小型化されたこととも無縁ではない。

 現在において事態が深刻なのは、コンピュータ・ゲームという「アメ」が、貧困の連鎖に与する恐れがあるからだ。既に述べているが、児童の教育に無関心な保護者が「アメ」ばかりを与えてしまい、「ムチ」を与える役目を放棄してしまうのだ。与えられた児童は不満を述べることがなく、それで満足してしまう。結果として学業が疎かになり、児童はますますコンピュータ・ゲームにのめり込んでしまう。学業と違って、コンピュータ・ゲームは決められた手順をただ守りさえすれば「褒めてもらえる」仕組みとなっている。児童にとってどちらが魅力的か、わざわざ説明するまでもないだろう。

 そして、この問題は何も貧困層に限ったことではない。オタク世代の結婚、出産は珍しくなくなったが、インドア系の保護者が自分の欲求を叶えるために、物心ついた時から「アメ」を過剰に与えるといった事象も見受けられている。同じような趣味を持つ同好の士たちからネット上で「理解のある、良い親」と思われたいがために、自身の子に「アメ」を与え続けるのだ。その方が手軽だし、なにより「親である自分が我慢しなくて済む」のである。

 育児や教育は非常にデリケートな問題だ。児童や保護者の欲求をただ満たせば良いという話ではない。「アメ」を欲するのは、大抵の場合は児童の方だが、保護者の側にも欲というものがある。具体的な話をすれば、どちらかの親が「より自分の方に子供をなつかせるため」に「アメ」を与えることもあるし、それによって両親の関係がこじれることもある。これは親ばかりではなく、親類縁者がそうした欲を抱くことも珍しくはない。

「子供や孫の喜ぶ顔が見たい」といった期待そのものは否定されるようなものではない。親子同士、好きなものが同じであれば接触の機会が増えるというプラス面もある。忙しい合間を縫って家事をこなす時間を作るために「アメ」を与えて子供の興味をそらす、といったことももちろんあるだろう。それすら否定するつもりは無い。

 だが、「児童にとって魅力的」なコンピュータ・ゲームやマンガ、アニメといったコンテンツは、「保護者にとっても魅力的」な、都合の良い「アメ」だということは忘れてはならない。そして、使い方や与える量を誤れば、虫歯になる程度で済む話ではないのだ。

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