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駅には、ホームドラマがある。

ローカル線にある駅が好きだ。
かつて特急などが停車した長いホームを持ちながら、その大きさを持て余しているような駅だったり、レールを柱に利用した跨線橋があったり、僕にローカル線の面白さを教えてくれたJR津山線には、亀そのものの形をした駅舎があったりする。

しかし、駅の魅力に引き付けられ下車してしまうと、とたんにローカル線の現実と向き合うことになる。それは、次の列車が来ない、である。2時間とかはザラで、3時間や半日に1本なんていう路線もある。

そんな時、駅の佇まいと乗客の様子を見て、日夜繰り広げられてきただろう題名のないドラマを想像してみる。ホームで展開されてきたドラマ。文字通りのホームドラマである。

たとえば、こんな具合。昨年の2月24 日のことだ。この日、三江線は雪により運転休止になっていた広島側の半分が復旧、43日ぶりに108キロ全線が開通となった。翌3月31日で廃線となるとあって、車内はものすごい混みようだった。

僕は1両目の最後尾に立ち、駅に停まるたび乗降口から身を乗り出し駅舎を撮影していた。やがて列車は、始発の江津から数えて12駅目となる乙原(おんばら)へ。17〜8歳の女の子が急ぐように乗ってきた。駅の写真を撮ろうと外を見ると、小さな子どもを抱いたお母さんと男の子がぶんぶんと手を振っている。男の子は、ぴょんぴょんと飛び上がりながら。

想像してみた。いま乗ってきた女の子は高校を卒業し、故郷から離れた大学へ行くのではないか。今夜からひとり暮らしが始まる。新しい生活を望んだものの、出発が近づくにつれ家族との別れがつらくなっていたことだろう。後ろ髪は改札で切り落としてきたのだ。家族が見送ってくれているのはわかっている。でも、一度でも見てしまったら、戻りたくなってしまう。涙が出てしまうのだ。彼女は前だけを向いて車内のポールを握りしめていた。僕は、ホームへの意識を消した健気な姿にエールをおくった。

19時。真っ暗な三次駅に着く。最初で最後の三江線の旅は、終わった。ただ一度だけの乗車だったが、三江線はいろんな人の想いを乗せて、いまも記憶の中を走っている。

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