詩「ある」について

2020年の初投稿が三月になってしまいました。
定期的に発表することが活動の本来の目的ではないので、もし何かを期待してくださっている方がいたとしたら「ご容赦ください」としか言えないのですが……
数か月ぶりにきちんと書けたと感じたので、発表しました。

さて、その数か月の経緯があり、自分なりに感じたこともあったので、
ご興味がありましたら、少々長いですがお付き合いください。

11月下旬の文学フリマ・東京以降、自分自身にとって苦しいことが重なったり、仕事もバタバタしていて、悩むことが多かった日々が続いていました。
そんな中でも詩は書いていたものの、なかなか形になりきらない、と感じるものが多く、中途半端な作品が積みあがっていきました。
つもりはなくとも、結果的には、粗製濫造、といえる状態に。

そして、2月も終わるころ、ようやく状況が落ち着き始め、気持ちにも少しずつ余裕が出てきたころ、とはいえ創作的にはあまり変わらぬ状態のままのとき。
友人のダンサー、田路紅瑠美さんが所属・出演する、加藤みや子ダンススペースの「帰点」という公演(2/29~3/1に開催)を見に行きました。

モダンダンス、というジャンルのダンスで、素人ながらの表現でいえば、定型にとらわれない、自由な表現としてのダンス、といった感じでしょうか。
自分が鑑賞するときに感じることとしては、人の動きやストーリーにフォーカスするだけでなく、人間の肉体を軸としたインスタレーション、空間芸術のようでもあります。
(専門のみなさまに失礼な解説でしたら、すみません)
モダンダンス自体は機会が合う時に見ているので、見に行くようになってから10年くらい経つのですが、最初の3年くらいは、あんまり鑑賞をできていませんでした。
個人的な鑑賞法としての範疇を出ませんが、
「頭で理解しようとするのではなく、その空間で描き出されるものをそのまま感じる」
ことが、あるときから自分の中での見方として、しっくりきたように感じたのでした。

できる限り思考しない、ということは、日ごろの現実から離れるということでもあるようでした。
その日、見終わって、不思議とすっきりした気分になったのですが、自分の心にかかった現実の枷が外れた瞬間があったのだと思います。
そうして自分の言葉もまた少し自由になった気がしました。

見に行った翌日、ふと、「ある」という言葉を鍵に、詩を書き始めました。
それは「帰点」という公演に対する自分なりの感想を一点に集約した言葉でもありました。

世界の総体と、個という一点が重なるような、
始まりから終わりへ一周しながら、その両端が重ならなず、閉じないで続いていくような、

そんな感覚が、自分が日ごろから感じていることとも重ね合わさって、
するりと出てきた詩でした。
ダンスの作品自体と内容は大してリンクしている訳ではないですが、公演を見なければ出来なかった作品だと思っています。

長い身の上話もここで終わりです。
こういう作品作りに限らず、人が生きることは互いに影響しあっている、毎日の暮らしそのものが、コラボレーションみたいなものだと思います。
僕の詩やら生活はさておき、機会があればモダンダンスやコンテンポラリーダンスをぜひ見に行ってみてください。

そして最後になりましたが、感染症で難しい判断を迫られる中、公演を行った関係者の皆さんに、こうして自分に良い影響を与えてくださったことに感謝を申し上げます。

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