赤裸々な旅日記

「ご自由にお書きください」
ってひさびさにnote書こうとしたら
Twitterの「いま、何してる?」みたいに出てたのでびっくりした。
確かに言葉は、自由に投げて、自由に取ってもらう、そういうものかもしれない。

さてさて、ひさびさに。
今回は日記みたいに自分語りでやってみる。

このところ毎回出してた『文学フリマ東京』を今年は春と秋、共にお休みしていた。
事情は色々あったが、一番の理由は改めて物語の勉強を始めたことだった。
自分が人生を後悔しないように、一番やりたかったことを諦められるまでやろうと思った。

それが物語を作ることだったし、
そのために映画の脚本の勉強を春から始めた。
わざわざお金を払ってまで。
自分が何者にもなれなかったらただの捨て金で、それもまあまあいい金額で。

そこには、詩作は死ぬまでやるだろう、という実感もあった。
自分のために書く部分は大きいし、
ずっと自分のそばにある表現だと思えたのもある。
学生時代の先生には感謝してもしきれない。

それから半年弱、勉強と仕事に悪戦苦闘し続けていて、
新しい環境や新しい仲間との時間もあり、
今の景色をまた描いてみたいとも思うようになったりして、
次の『文学フリマ東京』のブースを取った。

そんなことを考えながら出てきた言葉が
「赤裸々」

「旅日記」
だった。
この言葉についてはまた改めて書こうかなと思う。

まだ、そこに向かっては一文字も書いていないけれど、
「赤裸々」と「旅日記」に対しては、
これまでの自分と、これまでの自分や作品を好きと言ってくれたり、認めてくれた人たちを思いながらやっていきたいと思う。

ってな感じです。

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