ノヴァーリスも風となれ、ヘルデルリーンも風となれ〜孵るまでのドイツ語(2)
大学ではドイツ文学を専攻しました。
タイトルは高校時代に知った「詠み人しらず」の日本語詩で、
ノヴァーリスもヘルデルリーン(ヘルダーリン)もドイツの詩人ということは知っていました。
が、まず待っていたのは、怒涛のドイツ語特訓。
日本人2人、ドイツ人1人、計3人の授業がそれぞれ週3時間。
特に1年次は、1つでも単位を落とすと留年決定でした。
後から同級生に聞いて驚いたのですが、初級文法はほとんど前期のうちに終わり、夏休み明けからは文法クラスでもテキストを読んでいたようです。
(私は10月の後期から読解中心…と記憶していました)
そんなペースなので、ドイツ語がわかっているのかわかっていないのか、それはどこか、
だいたいドイツ語は楽しいのか…そんなことを考える余裕はまったくありませんでした。
血迷って体育会に入ってしまったため、試合明けのテスト(試験はどれかのクラスで、必ず週1回はありました)は笑っちゃうような答案が返ってきたりもしましたが、おおむね成績は悪くはなかったようで、進級もぶじ果たしました。
ただ…当時ドイツ語が楽しかったか、もっと好きになったかと訊かれると…わかりません。
けれど思わぬところで思わぬ道が拓けるもので、学部2年の終わりだったと思います、体育会の先輩から、アルバイトを引き継いでほしいと頼まれました。
ドイツ育ちの日本人で、アルバイトは大学から歩いていける特許事務所。
そこで最初は普通の事務アシスタントをしていましたが、しばらくしてから特許明細書の独日翻訳をするようになりました。
所長の弁理士さんがドイツ企業の勤務経験があり、私の翻訳はその先生が語学面、技術面でチェックする体制でした。
それからたぶん2年ほどして、別の先輩のアルバイトの引継ぎ、これはキリスト教哲学の先生の個人助手でした。
私が文字が読めるかぎり…というのはギリシァ語だけは勘弁してもらったのですが、日本語だけでなく、ドイツ語、英語、ラテン語の文献を毎週朗読していました。
大学院の学費の足しになりましたし、文学とは直接関係ありませんが、他分野の勉強やドイツ語の実際的な訓練、そして翻訳に関して言えば、こうして on the job training で第一歩を踏み出したことになります。
どちらのアルバイトも留学期間を除き(後輩や友人に代わってもらいました)、大学院を満期終了するまで続けました。
最初の記事で名前を挙げたゲーテ・インスティトゥート(東京ドイツ文化センター)は…学生時代を含めて、いわゆる語学コースは数学期通いました。
それだけです。
まず何といっても、当時は学割制度も始まったばかりで、学割があっても受講料は私にとって高額でした。それとテキスト。
それでも何とかお金と時間を工面したのですが、継続受講は難しかったです。
また、当時はレヴェル認定とクラス振分けがとても厳密だったこと。
ゲーテに通っていない期間も大学(院)はあり、ドイツ語のアルバイトをしていたので、クラス分け試験を受けると、いつも先生が眼を剥くほどの結果が出るのです。
でも例えば、半年前に受講していたクラスより何段階も上の結果が出る、なのにゲーテの修了試験は受けていない…というので、毎度どのクラスを受講するかで押し問答になり…そういうのが負担になって、足が遠のいてしまいました。
悪循環ですね。
こうした状況はその後、ヨーロッパ共通の言語基準(CEFR)や認定試験制度が整備されるのにも従ってずいぶん変化したので、今ドイツ語を学んでいる皆さんは、心配はありません。
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