観客の目線

こんにちは。はやしです。
最近読んだblogでハートを突き刺してそのままホーチミン(ベトナムの都市)くらいまで矢がかっ飛んでったエントリがあるのでちょっと紹介させてください。「かのこ」さんが執筆されている演劇に対する鋭い見地のエントリです。

演劇が抱える閉鎖的な空気感という課題に対する分析やアンサーが書かれています。この感覚をうまく言語化出来てるのにまず大きく驚きました。僕も同じ感覚をずっと持ち合わせていたんですけど、それが何から来るものなのか感覚的には理解しながらも、言語化はできていませんでした。

著者の「かのこ」さんはこのデリケートなテーマに対し自身の経験なども交え、ユーモアたっぷりに鋭く切り込んでいて爽快感さえ覚えます。あまりにも気持ちよくて首を振りまくりながら読んでしまいました。詳細はURL先を拝読頂くとして今日は自分なりにポイントをまとめておきたいと思います。

民衆は、基本的にお金を出したくないし、時間を割いてまで行きたくないんですよ。

まず、これ。名言。

演劇だけでなくお笑いなども含め「かのこ」さんの「民衆は、基本的にお金を出したくないし、時間を割いてまで行きたくない」という見地に全面的に賛同。人は相応の理由がなくお金を出さないし、時間を割いてまで何かに行くっていうのは結構すごいことだってこと忘れがちです。

僕はよく芸能の仕事を他のサービス業に準えて考えるんですけど、例えば飲食店で「好きでもない得体のしれないものを食べなければならない」なんてことはないです。でも芸能の仕事って結構そういうところあるような気がします。「誰かよくわからない人が出演している」「どんな内容かよくわからない」作品に「お金を払って時間を作って見に来て下さい」って話が横行していたりする。これ冷静に考えると結構なホラーだと思いません?

たとえタダだったとしても2時間うんこみたいな作品見させられるのって拷問以外の何者でもないよね。

そもそもうちらにとっては日常でも2時間も3時間も座り心地の悪い椅子に座らされ閉鎖的空間に監禁されて静かに座ってないとけない状況自体が普通はありえないからね?

そうなんですよね。そもそも論として2時間も閉鎖的空間に監禁されて静かに座ってないといけないって状況は確かに常軌を逸している。そんな当たり前の事なのに僕も忘れかけてた。そんな状況で、言ってることが同じかはよくわからないけれど「共感できない価値観を一方的に押し付けられる」って辛い。少なくとも僕は耐えられない。

おもしろかった!また見たい!って思えたり、人を誘いたくなったり、実際にリピートしてしまう作品ってやっぱりうちらのような一般人が想像もつかないような労力がかかってるんだと思うんです。
でもそんないろいろ大事なものがある中でわざわざ時間割いてお金払って行きたくなるような作品や推しに出会えた人は幸せだと思う。そして、そういうふうに思えるものにわたしはお金を払いたい。

そうなんですよね。人は「文化的に生きたい、人生を楽しみたい」とどこかで感じているからこそ、それを感じさせてくれる人に「感謝」をしたい、そして「お金を支払いたい」のだろうなあと心底思います。

つまり大原則として「文化的に人生を楽しませたい」と思える事が表現者としての入り口だと感じますし、その為には相応の苦労というか、プロセスを踏む必要があるのだろうなあ、と感じます。

民衆は、基本的にお金を出したくないし、時間を割いてまで行きたくないんですよ。

「基本的に」なんですよね。本音は「お金」を払ったり「機会」を作ったりする価値のあるものに出会いたいというところなのかもしれません。そして、その価値に値する人たちが「売れる」ということになるんだろうな、となんとなく感じた次第ではあります。

個人的にとても勉強になったテキストでした。

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