表現力をどう考えるべきか。

先日、芸人コースの受講生に聞かれた質問に対して、明確に答えられていなかったんじゃないかな、という事をずっと気にしていて最近ようやくすっきりとして答えが見えてきたので少しまとめてみようと思います。

・声、もっと出した方がいいですかね…?

先日、芸人コースの方にお声がけ頂いて飲み会に参加させて頂きました。その際に受講生にそんな質問を受けたんです。その時の私の回答は「少なくとも俺は聞こえ辛かったよ」と答えたのですが、大事なのは私に聞こえたかどうかではなかった、と深く反省しています。

・聞こえたかどうかは問題ではなかった。

私は表現力超肯定派なのでフィジカル(表現をする上での基礎身体能力を私はこう呼んでいます)はめちゃくちゃ大事だと思っています。表現をする上で、大きな声が出る、大きな動きが出来る、細かな動きが出来る、リズム感がある、などのフィジカルの力は様々なアドバンテージを生みます。ですから、声が大きい方がいいか小さいじょうがいいかでいったら「大きい」方が絶対にいいというのが結論です。

しかしながら、この件はちょっと違う考えに立たなければなりませんでした。

今回の例は「ネタ自体がぼそぼそと小さな声でやるから面白い」というようなニュアンスを含んだネタだったんです。つまり、本人たちは大きな声でやるっていうのは狙いと反している・・・と思うところがきっとあります。だから聞こえたかどうかで答えるのはナンセンスですね、これ。その面白さをどう増していくか、というところが回答になるのだと思います。

・他の芸人さんが演じた時にどうかを考えてみる

彼らにとっては聞こえなかったことで面白さが増している、のであればよいわけですよ。でも声が小さいというダメ出しが出たという事は「ネタとその表現の仕方のアンバランスさがある」ということを指摘しているんだと思うんですよね。だから声の大きさ云々は勿論なんですけど「どうしたらそのネタを最適な表現で演じる事が出来るか」という観点を考えなければならなかったように思います。

そこで色々考えてみたんですが、例えば「他の芸人さんだったらどんな風にアプローチするか」っていうのを考えてみたらわかりやすいのかもしれないな、と気づきました。このネタを面白く演じる事が出来そうな芸人さん(可能な限り一流の芸人さん)だった時にどんな声の大きさでやるのか、それは聞こえないようにやるのか、それとも声量はそのままで聞こえるようにやるのか。それともまた全然違う表現なのか。そしてそれを踏まえた上で自分たちはどういう風に表現をするのか。そこが大事なのではないかな、と思います。

・なにはなくとも声は大きいのが正義

それでも答えが出ないときは絶対に「声は大きい方がいい」です。大きな声を出せるという能力は表現者として最低限備わっていた方がいい力です。理由はたくさんあるんですが、一番の理由としては「小さい声量は誰でも出せますが、大きな声量は誰にでも出せない」からです。また、人は五感で物を感じますが、その中の「聴覚」「声」の情報で物を感じ取ります。だとするならば、その「声」は表現力の幅があった方がいいのは間違いなく、そのためには「少しでも大きな声」が出るという事は大事な要素です。

また、大きな声を積極的に出していくことの意味、というのはスポーツの世界でも語られる内容です。

上記URLを是非参考にして頂きたいのですが、ただ単に表現として、というだけではなく心理的な面も非常に大きそうです。表現の基礎として「声」というものにもっともっと注目しても良いのかもしれません。

じゃあ、どれだけ声を出したらよいのよ、という話も実はあったりするんですけど、それはまた別の話、ということで。今日はこの辺で。


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