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【平成を語る】お笑いの楽しみ方・提案

2019年(平成31年)3月23日に放送された『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)の復活特番、視ましたか?

いやーーーー懐かしかったねえ、

まだ半分しか見てないけど。

『ハードディスクに溜まったテレビ番組の録画やDVDをちゃんと見るぞ』と意気込んで迎えた連休初日だが、いまだテレビをつける気配のない私。

1:昔のオンエアバトルがすごかったという話

『爆笑オンエアバトル』というテレビ番組については、放送開始の1999年(平成11年)から偶然ちょいちょいと見始めていた。この番組を機に、私はネタ番組鑑賞及びお笑いにハマっていくことになる。

若手芸人による漫才、コント、漫談などを、観覧に来ている一般の審査員が評価する。『面白い』と評価されたネタしかオンエアしてもらえないという厳しさだった。当時は全国ネットのテレビ番組で若手芸人がネタを披露するような機会が少なかったためか、非常に濃いメンバーが集まっていた。

たとえば、後にバラエティ番組で活躍するタカアンドトシ、アンジャッシュ、バナナマン、おぎやはぎ、ドランクドラゴン、東京03。当時は相方がいたバカリズム、劇団ひとり(スープレックスというコンビだった)。後にM-1王者となる中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、パンクブーブーといった実力派漫才師。ダンディ坂野、はなわ、鳥居みゆき、鉄拳といったクセの強いピン芸人。安定の歌唱力とジャージ姿のテツandトモ。いまやめったにテレビに出ない美大出身の怪しいコンビ・ラーメンズ。『手相の人』としておなじみの島田さんや、ピコ太郎でおなじみの古坂大魔王も……といったそうそうたるメンバーが、オンエアを賭けて毎週熾烈な戦いを繰り広げていた。たとえ芸歴が長くても、その場のお客さんにウケなければお蔵入りになってしまう(オンエアされないことを『オフエア』と表現することもあった。これは田上よしえさんがネタの中で言ってたのが最初だった気がする)。オンエア枠は10組中上位5組までと決まっていたため、ものすごく豪華なメンバーだと、ウケていてもオフエアだったりする。そんな時は視聴者も「もったいないことしやがってー」とじたばた悔しがるのだった。『オフエアのネタも絶対それなりに面白いだろう』という回が何度もあったなあ。

2:『面白い=テレビに出て有名になる』わけではないという話

初期は、オンエアされる人はみんな面白いと思った。そりゃあ、お客さんに評価されてのオンエアだもの、って感じであるが、そもそも活躍の場が少ない時期だったから腕のいい芸人が集中していたのかもしれない。お笑いそのものがだんだんブームになり、お笑い芸人の活躍の場が広がり、さらに下の世代が台頭して初期の芸人たちが卒業していくにつれ、オンエアバトルという番組も、どことなく薄味になっていった気がする。

ちょうどその頃には、初期にオンエアバトルに出ていた芸人たちの中から爆発的に『テレビに出る回数が増えた』人たちが現れ始める。と同時に、『ネタの面白さと、テレビ番組等への露出は、必ずしも比例するわけではない』という事実が浮き彫りになる。お笑い芸人は、本来的には、『お客を笑わせた分だけ評価される』はずだと思うのだが、テレビ番組の多くはネタ番組ではないから、そこまで単純ではない。

いろんな芸人のブレイクの瞬間を目の当たりにするにつけ、『爆発的に注目を集めるきっかけって、なんかヘンだな』と感じることも多々あった。この人の真の凄さはそこじゃないのにな、と思ったりした。

たとえば、バカリズムが脚光を浴びたきっかけは『トツギーノ』というフリップのネタであった。でも私は、それよりも面白いネタをたくさん知っている。コンビ時代の『影の仕事』や『ラジオ挫折』、ピンになってからも『心得る人々』など、賢そうでジメっとしたような怪しいネタで人々の意表をついていくのを知っている。もちろん『トツギーノ』で有名になった後にもR-1やIPPONで大暴れしたり、ドラマの脚本を書いたりしてマルチな才能を発揮しているわけだが、今の成功にたどり着くには『トツギーノ』というきっかけが必要だったんだと思う。個人的には『それかあ?』と思ってしまう。大衆の目に留まるきっかけって、なんだか不思議。

くりぃむしちゅーの上田氏がうんちく王で話題になって仕事が増えだした時にも感じた、『それかあ?』である。

あと、ブレイクした芸人でびっくりしたといえば小島よしお氏だ。彼はオンエアバトルには出ていないが、2000年代初頭にTBSの笑林寺という深夜番組にWAGEという5人組のコントユニットとして出演していたのを視たことがある。5人でコントをやっている中ではあまり目立たなかったのだが、意外にもあの5人の中で一番先に世間の注目を集めた。WAGEは早稲田大学のユニットで、緻密なネタをやっていたので知的なイメージがあったのだが、まさかの裸芸人としてブレイク。まさしく「そんなの関係ねえ」である。

「そんなの関係ねえ」は、偶然に産まれたフレーズであったという。作り込まれた緻密なコントをコツコツやっていた、そのうちの一人が、ものすごい偶然の連鎖で流行語大賞までかっさらった。もちろん、このブーム後も活躍を続けているのは、小島氏の努力があったからに他ならないわけだが、芸人にとってブームが起きるには「運」の要素が欠かせない、と感じさせられた出来事だった。

ちなみにWAGEのメンバーは小島氏のほかに、キングオブコントで優勝したコンビ・かもめんたる、回文ソングに定評のある手賀沼ジュン氏がいる。すごく濃い。濃すぎる。かもめんたるのコントDVDなんて、面白いのだが、あまりにも濃いので体調の良い時しか視られない(※一応褒めています)。

濃い方向に尖っている芸人は、時に「大衆を追い越してしまう」。かもめんたるのコントは大衆をすごいスピードで追い越していった感があるし、先述のラーメンズも、テレビに出なくなったのはそういう事だろう。バカリズムだって本性は凄いんだろうに、テレビで活躍するために、意識的に『笑顔を絶やさないように気を付けている』ようなイメージがある。

3:『ライブを見に来てください』発言の話

「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます! テレビだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」2002年の年末、M-1グランプリで優勝した時のますだおかだ増田氏の言葉である。この人の言葉はアスリート、いやプロレスラーの名言みたいなノリで生まれる。汗だくで言い放っている感じ(※あくまでイメージです)。

ゴールデンタイムの全国ネットの番組、おそらく人生で一番注目を集めたであろう場面で直訴するみたいに言っていた、その意味が後になってしみじみわかる。「万人がついてこれるように配慮された笑い」をさらにスタッフが編集した、テロップ入りの加工品ではなく、粗削りな生のお笑いをどうぞということだったのだろう。

2008年頃、ますだおかだ結成15周年の単独ライブを収録したDVDが発売される時には、「こうやって形に残すことで、うちの子どもが大きくなった時に、自分の父親がもともと漫才師だったことがわかるだろう」といった主旨の発言もしていたかと思う(記憶が曖昧で、誤解だったら申し訳ないです)。

爆笑オンエアバトルでも華々しく活躍し(番組史上初の『満点』を獲るなど圧倒的な存在感を見せていた)、漫才の世界でさまざまな賞を獲り、日本一まで昇りつめた漫才師。それが、『将来は漫才をする場面がさらに減るだろう』と予言をしていたようで、なんとも悲しい。この人も、独自の道を先へ先へ進みつつも、カメラの向こうの大衆に合わせようとしているのだと思う。

4:テレビは『無料のお試し動画』、そしてその先は…という話

そうやって、「面白い芸人」とテレビ番組との関係性についてみていくうち、私はテレビをたくさん視ることが、だんだん面倒くさくなってきた。面白いと思う人のことはインターネットで調べて、そこで情報を調べてライブに行くのが正しい応援の仕方だなと思うようになった。

『面白い芸人が、きちんとお客さんを笑わせているのに、商売として続けられない』ということが起きている。オンエアバトルに出ていた芸人の中で、解散している人たちは少なくない。本当の事情は私にはわからないが、なんとなく推測はできる。面白い芸人は、観客に評価されることできちんと利益を得てほしい。それで一生ふつうに食べていけるような世の中にしなきゃ、日本の笑いはどんどん貧しくなるという危機感をおぼえている。

だから私は、面白い芸人のネタを本気で楽しむなら、無料で見られるテレビではなく、お金を出してライブに行ったり、DVDを買ったりしたい。笑ったぶんだけ、きちんとお金を落とすことが大事だと感じている。テレビのビジネスモデルだけでは、本当に面白い芸人がたやすく見過ごされる。わたしという個人が見聞きしたものを信じ、ライブやDVDの売り上げに協力することで、世の中は変わる。

爆笑オンエアバトルで知ったホーム・チームというコンビがいる。2010年に解散してしまったあと、ボケの与座よしあき氏はピン芸人・俳優として活動している。与座氏の笑いは温かくて、誰も傷つけないところが好きだ。今でも単独ライブやお芝居に、時々足を運ばせてもらっている。

そんな与座氏に、昨年お子さんが誕生した。今年の1月に行われた単独ライブの中では、一公演、『こどもライブ』が開催された。

お子さま連れ歓迎、というかお子さまターゲットなお笑いライブ。

私は行かれなかったけど、すごくいいなあと思った。特に、「本当はお笑いライブ行きたいけど、子どもが小さいだから我慢だなぁ」と思っていた親御さんに朗報だったと思う。おそらく、自分に子どもが生まれなかったら着想しなかった形式ではないだろうか。そのライブの告知を見ただけで、人生の変わり目での新しい一歩を見せてもらった思いだった。

またtwitterの中で、与座氏のワイフがこのライブを応援するために絵本を手作りしていたり、古くからの芸人仲間が子どもを連れて観に来たりしている様子が伝わり、人間関係の温かみにたいへん癒されたりした。

この温かい感動は、ひとつの生業を長く続けた人間がいるということに付随する利息みたいなものだ。けっして、狙って生み出せるものではない。


5:ということで話をまとめると

新しい笑いを創るのはお笑い芸人のみなさん、客席のみなさん、そしてこれを読んでいるあなたたちです。

笑いを創る人たちに敬意を持とう。

ライブに行こう。

対価を払おう。

応援のしかたを変えることで、未来はもっと面白くなると思う。




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