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未だに見つかっていない天草四郎の埋蔵金🌈

天草四郎は、1637年、キリシタンたちが、厳しいキリシタン弾圧と領主の圧政に対抗して起こした『島原の乱』を総大将として率いた人物。

彼は、9才から学問を学び始め、長崎へ遊学していた時期もありました。

彼が生まれたのは、1621年。

その9年前の1612年、マルコス宣教師が日本を去る直前、こんな予言を残していました。

「25年後に、神の子が出現し、人々を救う」

四郎が、島原の乱をはじめとする数々の奇跡を起こしたのが、予言から25年後の出来事でした。このことから、「彼は神の子だ」と、噂されるようになったんです。

真偽はともかく、彼が群を抜く美貌と才知によって、人々を強く惹きつけたことは確かなようです。

島原の乱を率いていた時、彼はまだ16才でした。

・5才で大人顔負けの書を書いた
・海の上を歩いて渡った
・盲目少女の目に手をかざして治した

など、彼には数多くの逸話が残されています。

島原の乱は、勃発してから4か月後、キリシタン軍全員が島原の原城で討死し、幕を閉じました。


熊本県の天草地方には、こんな言い伝えがあります。

「一揆軍が鎮圧される前に、軍資金の一部を天草島内に隠した」

重さが6kg近くある黄金の十字架をはじめ、金銀製の燭台(しょくだい)20基、宝石を散りばめた王冠、小判など、時価総額は数十億円にのぼると言われています。

ところが、軍資金の守り役に選ばれた人物が、在処を示す書を残したまま失踪してしまったため、結局、その軍資金は使われることなく、残されたままです。

これが、天草四郎の埋蔵金と呼ばれるものです。

その後、明治・大正・昭和と、天草四郎の埋蔵金が語られ、捜索が行われてきましたが、いくら捜索を行っても、発見されることはありませんでした。

そして、昭和10年9月、長崎のある家から黄金製の十字架が見つかり、県が買い取りました。

その十字架には、暗文が書かれていました。

さんしやる二 こんたろす五
くさぐさのでうすのたからしずめしずむる

「暗文の『さんしやる二 こんたろす五』は、隠した場所を意味しており、さらに、その場所が三角池である」と、推測し、探し回りましたが、見つかりませんでした。

後に、この暗文は、「聖遺物二個 ロザリオ五個」という意味のポルトガル語であることが分かりました。

埋蔵金を半世紀近く探し続けている人もいますが、未だ、埋蔵金は見つかっていません。


天草には、郷土史家の浜崎栄三が、研究の傍ら収集したキリシタンの関係資料を展示公開している『サンタマリア館』があります。

隠れキリシタンの遺物を中心に、天草四郎の生い立ちや歴史が分かる資料や埋蔵金に関する資料が置かれています。

気になる方は、ぜひ、行ってみてください。

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