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加藤陽子「戦争の日本近現代史」を読んで

 私は今まで、明治から第2次世界大戦までの歴史については、史実を知ることが主で、あとは歴史小説を読み、知識を深めえる程度であったようです。
 この本を読むと、なぜ戦争が起きたのかを考察するため、明治の元老が維新当時からどのような考えを持っていたのか、その後、為政者がその時何を考えていたのか、力を強める軍部がどのような行動に出たのか、国民はその時々でどのような認識を持ったか、を理解するきっかけを作ってもらったように思います。

 以下の、この本の内容の一部を、日露戦争までと、日露戦争後の二つの視点で、私なりにまとめてみました。



日露戦争まで

 世界の列強が帝国主義を進め、大国である中国の惨状が伝えられました。
 そして、今後の日本にとって、南下政策を取るロシアが一番の脅威となることがわかりました。。
 明治の元老は、明治維新後(1868年)、日本という共同体を結束させるため、帝国議会を開設し(1890年)、不平等条約をなくし(1894年)、国力と軍事力を高めていきます。
 日本の独立を維持するには、地理的に重要な位置にある朝鮮を独立させ、中立化を図る必要があります。そのため、朝鮮を属国を見る中国との戦争となりました(日清戦争、1894年)。
 満州に確固たる権益を得るため、南下を進めるロシアに対抗するための戦争となりました(日露戦争、1904年)。

元老山県有朋の憂鬱

 明治の元老である山県有朋は、日露戦争を参謀総長の地位で戦ってきました。
 その山県が日露戦争後、大いなる憂鬱を抱えていたことが、当時の発言や残された文書よりわかりました。
  日露戦争により、相手に甚大な損害を本国に与えたわけではなく、かといって、ロシアと戦後の友好関係が確立しあわけでもなく、今後復讐戦に備えてなくてはいけない。
 国民は、講和条約により賠償金を獲得できなかったことに不満を持っており、今後の戦争において、明治維新以来の国民の高揚とした士気、山県がいう「国民の元気」に、頼ることはできない。
 これから、アメリカ、ロシア等の強国を相手に、中国に対する政策は、難しい舵取りが必要になってきました。
 元老山県は、当時そう考えていたのです。

日露戦争後に直面した問題

 日露戦争後、日本が直面する問題は、以下の3点でした。
(膨大な戦費負担)
 各政治集団間の競合が発生したことです。
 海軍と陸軍で、自己に有利な予算の獲得を図ろうとしました。
(中国大陸での特殊権益)
 日露戦争で得た返還期限のある利権を、どのように守っていくか。
(中国との関係)
 南北で分立する中国の政治体制をどのように対処していくか。

 当時の政府と、山県など元老と意見を対立は深まっていき、軍部の力が強くなると、急進的な方向へ向かっていくことになります。

第2次世界大戦へ

 第1次世界大戦を経験し、国際協調と軍縮に比重を置く状況で、日本はさらに難しい選択を迫られ、第2次世界大戦を迎えることとなります。
 アメリカは、基幹物資を自国に持ち、長期戦を可能です。日本は、資源小国であり経済封鎖をされる前に、短期決戦しかありません。短期決戦をクリアーする条件を検討していくことになります。

 当時の有力な政治家が、何を考えどう行動したかを、当時の発言や残された文書より検討していくことは、重要なことであると思いました。
 歴史は、史実のみを追うのでなく、今現在でもこういった検証が必要と痛感しました。



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