ヘルマン・ヘッセ「庭仕事の愉しみ」を読んで
この本は、ヘッセ研究者のフォルカー・ミヒェルスが、ヘッセの「庭」をテーマとする詩文をまとめたものです。
まず、ヘッセの庭との出会いを辿りながら、私がとても気に入った2編の文章を紹介します。
ヘッセが愛した庭
幼少のころ
生家の裏の段々畑を、母から頼まれ、植物を植えて世話をするようなりました。植物が生まれ、成長し、枯れていく姿をじっと見つめていました。植物に集まる、小鳥、蝶等との出会いがありました。
ボーデン湖畔の庭(1904年~)
作家として成功し、結婚し子供ができ、寒村ではあるが、自然を満喫できました。ヘッセにとって、幸福な時代をを共にした時代の庭です。
ベルン郊外(1912年~)
カーサカムッティの城館(1919年~)
ボーデン庭を離れたこの時期、ヘッセは、社会活動をするようになり、第1次世界大戦が始まり、家族との別れがありました。「庭」は遠ざかりました。
カーサカムッティの庭(1931年~)
ヘッセの仕事の理解者と再婚し、庭とかかわれる生活ができるようになりました。
庭での経験
ヘッセの詩を読んでいると、木や花に対して、人間に対するような態度です。友に語りかけるようです。
特に、社会的に批判を浴び、精神的につらい時代は、一番の友が、庭に植えられた老木であったときがあります。
幼少のころから、草花に語りかけ、庭仕事から得た経験が、ヘッセの思想となっていきます。
「百日草」
「百日草」という題の文章があります。ヘッセは、長い間咲いているこの花を、自宅に切り花として持ち込み、じっと観察します。
色鮮やかな花々が、少しずつ変化していく姿を描写します。枯れていく様子を、最高に美しいものと書いています。
私は、花の一生を思い、最後まで生きざまの見届ける感性に、とても共感しました。
ヘッセは、この文章の最後に、この時代の物質主義に毒された人間を批判しています。この文章を書いた、1928年というこの時代は、ヘッセにとっても家族との別れを経験した、つらい時代でもありました。
「桃の木」
「桃の木」という題の文章があります。長い間、庭に植えてあった桃の木が、強い風で倒木してしまいました。桃の木の思い出を綴った文章です。
古からの知己であり、友達であるとまず述べます。その後、思い出を語ります。
花が咲いた小枝を家に持ち込み、部屋の中に飾ったこと。
熟して地面に落ちた果実をポケットに入れ、テラスの欄干に置いたこと。
夏の暑い日には、この木の下で休んだこと。
最後に、木に対し、十分に生きてくれたと賛辞を送ります。友に対する最高の誉め言葉です。ヘッセは、梅の木のあったこの場所に植樹をせず、空けたままにしておいたそうです。
この文章を書いた、1945年は、終の棲家で落ち着いた生活をしていた時代でしょうか。ヘッセ自身も自分の人生を振り返っていたと思います。
良く老いていくことを考えさせられます。
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