人間の生き方

 パブロ・ピカソ(1881―1973)は、スペインのマラガ生まれで、幼少期から絵の才能を発揮していた。11歳で、ラ・コルーニャの美術学校へ特別に入学した。

 バルセロナ美術工芸展に、《初聖体拝領》(1896)を出展して、14歳で画家としての活動を開始する。

 1904年に、フランス・パリに移住する。ポール・セザンヌ、トゥールーズ=ロートレックなど多くの画家から、芸術様式を吸収して、作風を次々と変化させる。

 活動の初期の画業は、友人の自殺をきっかけに、貧困や生と死を主題とした「青の時代」(1900-03)。
 暖かみのある色使いで、サーカスや旅芸人などを描いた「バラ色の時代」(1904-06)。
 対象を幾何学的に分解して、線と面で再構築する分析的キュビスムを生み出した「キュビスムの時代」(1907-16)に区分できる。

《アヴィニョンの娘たち》(1907)は、後にジョルジュ・ブラックが引き継ぐキュビスムの出発点となる記念碑的作品である。

 しかし、ピカソは、キュビスムにとどまることなく、そして古典回帰、シュルレアリスムへと進んでいく。

 37年、パリ万博のスペイン館で、縦約3.7×横約7.8メートルの大作《ゲルニカ》を発表する。

 この作品は、内戦中のスペイン北部の小都市・ゲルニカで起きたフランコ軍による無差別爆撃を主題として、身悶える人々、牡牛、馬といった象徴的なモチーフへの解釈は、鑑賞者にゆだねている。

 パリ万博での出展後は、ニューヨーク近代美術館への寄託を経て、81年にスペインに返還された。
 92年にプラド美術館別館で展示されて、現在はソフィア王妃芸術センターに寄託展示されている。

 晩年においてもピカソの創作意欲は衰えることなく、絵画、また彫刻や陶器などにも多くの作品を残した。1973年没する。

 作品群は、パリとマラガのピカソ美術館、日本では最初のピカソ館がつくられた箱根彫刻の森美術館など、世界の各美術館に収蔵されている。

 パブロ・ピカソ(1881年1973年)は、スペインマラガ生まれの、フランスで制作活動をおこなった画家で、彫刻家でもある。
 形式を大胆に破壊して、圧倒的な情熱によって、絵画の世界に革命を起こした。

 人間の生き方について彼は語っている。
「私は捜し求めない。見出すのだ」

 さらに彼はこういう。
「優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」

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