志村けんの笑いで紐解く:バタイユの過剰、安吾の破壊、そして日常の再構築

はじめに:笑いの奥に潜む思想の海

みなさん、こんにちは。今日は志村けんさんの笑いを通じて、ちょっと変わった世界の見方について考えてみましょう。バタイユの「過剰」、安吾の「破壊」、そして「制作論的転回」という3つの概念を紐解きながら、志村けんの笑いの深層に迫ります。

1. バタイユの過剰:「アイ~ン」の哲学

まずは、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユの「過剰」の概念から見ていきましょう。バタイユは、社会には常に「使い切れないエネルギー」が存在し、それを消費することが重要だと考えました。

ここで思い出すのが、志村けんさんの「アイ~ン」ですね。この意味不明な掛け声、大げさな動き、そして奇抜な衣装。これらはまさに、バタイユの言う「過剰なエネルギーの消費」そのものです。

例えば、志村けんの「変なおじさん」キャラクターを思い出してください。公共の場で奇声を発し、意味不明な踊りを踊る。普通なら「迷惑だ」で終わりですが、バタイユの視点で見ると、これは社会の「ガス抜き」として重要な役割を果たしているんです。

つまり、志村けんの笑いは、社会の窮屈さやストレスという「過剰なエネルギー」を、笑いという形で発散させる装置だったんですね。「アイ~ン」と言うことで、私たちは知らず知らずのうちに、社会の重圧から解放されていたのかもしれません。

2. 安吾の破壊:「だいじょうぶだぁ」で常識を壊す

次に、日本の作家・坂口安吾の思想を通して志村けんの笑いを見てみましょう。安吾は「堕落論」で、既存の価値観や道徳を徹底的に否定することを主張しました。

ここで思い出すのが、志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」というセリフです。一見、何の変哲もない言葉に見えますが、これが実は強力な「常識破壊兵器」だったんです。

例えば、失敗したときに「だいじょうぶだぁ」と言う。普通なら反省したり落ち込んだりするところですが、この一言で状況が一変します。「失敗=悪いこと」という常識が、あっさりと崩されてしまうんです。

これはまさに、安吾が目指した「既成概念の破壊」の実践と言えるでしょう。志村けんは、笑いを通じて私たちの固定観念を壊し、新しい見方を提示していたんです。

3. 制作論的転回:笑いで世界を作り直す

最後に、人類学の「制作論的転回」という考え方を通して、志村けんの笑いを捉え直してみましょう。制作論的転回とは、世界を固定的なものではなく、常に作られ続けているものとして見る考え方です。

志村けんの「バカ殿様」のキャラクターを思い出してください。権威の象徴であるはずの殿様が、とんでもなくバカなことをする。これは単なるギャグではありません。実は、私たちの「権威」に対する見方を根本から作り変えているんです。

バカ殿様を見て笑うたびに、私たちの中の「権威者=偉い人」という図式が少しずつ崩れていく。そして、「権威者も人間なんだ」「権威なんて笑い飛ばせばいいんだ」という新しい世界観が作られていくんです。

これこそが、制作論的転回の実践と言えるでしょう。志村けんの笑いは、私たちの世界の見方を常に作り直し、更新し続けていたんです。

結論:笑いが作る新しい世界

さて、ここまで志村けんの笑いを3つの視点から見てきました。

  1. バタイユの「過剰」:社会の余剰エネルギーを笑いで発散

  2. 安吾の「破壊」:笑いで既存の常識や価値観を壊す

  3. 制作論的転回:笑いを通じて世界の見方を作り直す

これらを踏まえると、志村けんの笑いは単なる「おもしろい」を超えた、社会的・哲学的な実践だったと言えるでしょう。

彼の笑いは、社会の窮屈さを発散し(バタイユ)、固定観念を壊し(安吾)、そして新しい世界の見方を作り出す(制作論的転回)。この一連のプロセスを、楽しく、そして自然に私たちに体験させてくれていたんです。

だから、次に志村けんのお笑いを見るときは、ただ笑うだけでなく、ちょっと考えてみてください。「この笑いは、どんな固定観念を壊そうとしているんだろう?」「この笑いによって、どんな新しい世界の見方が生まれるんだろう?」って。

きっと、笑いながら哲学する自分に出会えるはずです。そう、まるで志村けんのように、アイ~ン!

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