さくらのフランス哲学紀行:深化する思索と広がる地平



## 8日目:ストラスブール - リクールの「物語的自己同一性」を探って

アルザス地方の中心、ストラスブールへ。半木造の家々が立ち並ぶ旧市街を歩きながら、ポール・リクールの「物語的自己同一性」について考える。

「私たちは自分の人生を物語ることで、自己を理解し、作り上げていく」

ピエール教授と共に、ライン川沿いを散策。
「さくらさん、この街の歴史そのものが、フランスとドイツの間で揺れ動いた一つの物語なのです」

夕暮れ時、大聖堂の尖塔を眺めながら、私たち一人一人の人生もまた、絶えず書き換えられる物語なのだと実感する。

## 9日目:リヨン - シモーヌ・ヴェイユの「注意力」と「重力と恩寵」

古代ローマの遺跡が残るリヨンで、シモーヌ・ヴェイユの思想に触れる。
フルヴィエールの丘に登り、街を一望しながら「注意力」について考える。

「注意力とは、空虚な精神で対象を受け入れること」

ピエール教授が言う。「ヴェイユの言う『重力』は私たちを地上に引きつける力であり、『恩寵』はそれに抗う力なのです」

街の喧騒から離れ、静かに祈りを捧げる人々を見つめながら、日常の中にある聖なるものへの気づきを感じる。

## 10日目:ボルドー - モンテーニュの「エセー」を巡って

ワインの街ボルドーで、ミシェル・ド・モンテーニュの足跡を追う。
彼の塔を訪れ、「エセー」執筆の場に立つ。

「人間とは、何と変わりやすく、移ろいやすいものだろうか」

ピエール教授とワインを楽しみながら議論。
「モンテーニュの懐疑主義は、実は最大の謙虚さの表れかもしれません」

夜のガロンヌ川を眺めながら、自己探求の旅は終わりのない営みだと感じる。

## 11日目:マルセイユ - ドゥルーズの「リゾーム」を感じて

地中海に面したマルセイユで、ジル・ドゥルーズの「リゾーム」概念に触れる。
旧港の雑多な風景が、まさにリゾーム的な複雑性を表しているよう。

「リゾームには始まりも終わりもない。それはいつも中間にあり、物事の間にある」

ピエール教授と魚市場を歩きながら。
「この市場の喧騒も、様々な要素が絡み合う一つのリゾームと言えるかもしれません」

夕日に染まる地中海を眺めながら、私たちの思考もまた、予測不可能な方向に伸びゆくリゾームのようだと感じる。

## 12日目:アヴィニョン - デリダの「脱構築」を考える

法王庁宮殿のあるアヴィニョンで、ジャック・デリダの「脱構築」について思索を巡らせる。
中世の城壁と現代アートが共存する街並みが、脱構築の具現化のよう。

「脱構築とは、テクストの中に隠れた矛盾や前提を明らかにすること」

ピエール教授との対話。
「この街自体が、歴史と現在の対話を通じて絶えず自己を脱構築しているのかもしれません」

プチ・パレ美術館で現代アートに触れながら、固定観念を揺さぶることの創造性を感じる。

## 13日目:グルノーブル - メルロ=ポンティの「間身体性」を体験

アルプスの麓、グルノーブルで再びメルロ=ポンティの思想に向き合う。
ロープウェイでバスティーユの丘に登りながら、「間身体性」について考える。

「私たちの身体は、他者や世界と交差し、絡み合っている」

雄大なアルプスを背景に、ピエール教授と語り合う。
「この壮大な自然の中にいると、私たちが世界と分かちがたく結びついていることを実感しますね」

夕暮れ時、山々の影が街に落ちていく様子を見ながら、人間と自然、そして他者との深い繋がりを感じる。

## 14日目:パリに戻って - バシュラールの「詩的想像力」に浸りながら

旅の最終日、再びパリへ。今回はガストン・バシュラールの「詩的想像力」をテーマに、街を散策する。
テュイルリー公園で、バシュラールの言う「物質的想像力」を感じながら、噴水や彫刻を眺める。

「詩的イメージは、魂の直接的な産物である」

ピエール教授と最後の対話。
「バシュラールは科学者でありながら、想像力の重要性を説きました。理性と感性の調和こそが、真の知恵を生むのかもしれません」

エッフェル塔の下で夕日を眺めながら、この2週間の旅を振り返る。
哲学は、抽象的な思考だけでなく、身体的な経験や想像力を通じても深められることを学んだ。

パリの夜景に包まれながら、この旅で得た洞察が、これからの人生にどのような影響を与えるのか、期待に胸を膨らませる。

フランスの地で触れた哲学の数々は、もはや単なる知識ではなく、私の血肉となって流れている。
明日からの日常に、この豊かな経験をどう活かせるか。新たな挑戦への期待に、心が躍る。


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